西武西武渋谷店

2015年8月18日(火) Think College Vol.34

「わたしのこと」から「まちのこと」をつくる
〜これからの都市コミュニティのあり方を考える〜

講師:齊藤志野歩 / 株式会社エヌキューテンゴ代表取締役

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世の中の課題に取り組む人のお話を聴いて、一緒に考える講座シリーズ「Think College」。
8月のテーマは「毎日のくらしから社会を変えていく」こと。

近所の人とごはんをつくって、食べる。
ありそうで、なかった、シンプルなイベントがあります。
ふだん一緒に料理をしたことがない人同士が集まって、おしゃべりしながら、みんなでつくって食べる。
それだけのことなのに、そこに人が集まってきます。

「ちゃんとごはんを食べたい」
そんな身近で個人的な問題が、いつのまにかみんなのこととして解決されていく。
そのプロセスをちょっとだけ掘りさげてみましょう。

講 座 レ ポ ー ト

「阿佐ヶ谷おたがいさま食堂」

齊藤

阿佐ヶ谷おたがいさま食堂」は、月に1回、わたしの住んでいる阿佐ヶ谷でやっている、ごはんを一緒に食べるというイベントです。開催は毎月第三日曜日、参加費は1,500円くらいです。

阿佐ヶ谷をはじめ中央線沿線には、商店街が多く、小さな商店がいっぱいあります。そこにみんなで出かけていって、「今日は何が安いですか」、「天ぷらにはどれがいいですか」などとお店の人と話しながらまずはお買いものです。

「今日はお寿司」とか「コロッケ」とか、おおざっぱなメニューがあるだけで、あとは参加者が相談して決めます。15人だったり30人以上になったり、回によって人数も違いますが、みんなでワイワイいいながら「副菜はこれにしよう」、「この材料はこれに使おう」と料理をつくっていきます。

料理教室ではないので、先生も生徒もいない。そうすると「なるほどこういう調理の仕方ってあるんだね」とか「わたしのふるさとではこういう食べ方をします」とか、お互いに知恵を交換することもできます。

お店と違って、つくる人と食べる人の区別もありません。わたしも隣の人のためにつくるし、隣の人もわたしのためにつくってくれる、関係性がおたがいさまなので、「おたがいさま食堂」というわけです。

つらかった「子どもとふたりの食事」

齊藤

わたしの息子はこの春小学校に入りました。思いかえすと6年前、この子を出産し、復職したころの暮らしは、まさに怒濤でした。とくに子どもとふたりの食事が非常につらかった。

保育園に入るのもたいへんでしたが、やっと入れた保育園は家から遠く、定時になんとか会社をあがり、自転車を飛ばして7時半ギリギリに保育園にお迎えにいく。同じようなお母さん、お父さんたちが駆け込んできて、自転車に子どもを乗せてわーっと散っていく、というのが毎日の光景でした。

家に帰ると、子どもはお腹がすいたと泣くんです。こっちだってごはんをつくりたいのに、泣いてる子を抱っこしているうちに時間だけが過ぎていく。行政のサービスって日中だけで、夜のこういう時間は助けてくれないんですね。

そこでわたしは、保育園のお母さんに声をかけて、ほかの家族といっしょに食べることを思いつきました。「今日はあなたがつくって」、「今日はわたしがつくるね」とほかの家族と行き来する。でも、それを何回かやっているうちに、おたがい忙しい時間は同じですから、「つくって」といいにくくなってしまった。

ところで、その時間にごはんが豊かじゃない人って、そういう家庭だけじゃありませんよね。一人暮らしのサラリーマンとか、お年寄りとか、毎日、牛丼やコンビニのお弁当ですませている人もたくさんいる。そういう近所のいろんな人も誘えばおもしろくなりそう。とはいえ、「あなたの家にこんど30人いきますけどいいですか?」とはなかなかいえません。

だったら、共同キッチンをつくろう。子どもを迎えに行く道すがら、ママチャリをこぎながら考えついたのがこれです。

場所づくりの前に、仲間づくり

齊藤

メンバーを10人集めれば、10日に1回ご飯をつくって、残り9日間はなんと食べるだけ。30人いたら、1か月に1回だけでよいという計算になります。

わたしはまず、町がどう動いているのかを知るために、地元のお祭りを手伝いました。

するとそこで、なんと「この場所つかっていいよ」という商店街の方に出会ってしまいました。もともとお豆腐屋さんだったのですが、廃業してお店がそのままになっていたのだそうです。その場所をつかって何かできないか?と、作戦会議をはじめました。

残念ながら、後日このお豆腐屋さんは事情があってつかえなくなってしまったのですが、このときに保育園仲間のほかにも親子連れ、お祭りのときに知り合ったアーティストなどいろいろな仲間ができました。

こうした地元の仲間といっしょに、商店街の活性化イベントという位置づけで助成金をいただき、2013年の夏、「もちより食堂」をやりました。

先ほどのお豆腐屋さんとは別の空き店舗をつかわせてもらえることになり、商店街で買ってきたものを持ち寄って食べるイベントです。キッチンはなかったのでテイクアウトのみでしたが、商店街でも協力してくれて、買ったものを持参のお弁当箱に詰めてもらいました。

商店街には、たまたまキッチンスタジオもありました。いただいた助成金でスタジオを借り、トライアルとして4回の「おたがいさま食堂」をやりました。場所もやり方も手探りのなかで、とにかく「一緒につくって一緒に食べる」をまずやってみたわけです。

見えてきた「まち食」の魅力

齊藤

助成期間が終わってからも、「つぎはいつですか?」と問い合わせがちょくちょく入り、それだったらちょっと続けてみようかということになりました。商店街にネパールショップがオープンすれば、そこで買いものをして、ネパール料理をつくったり、地元商店会の会長さんが魚屋さんなので、ぶりを1本買ってさばくというのにも挑戦したりしました。

9回目までの参加者のべ人数のグラフをご覧ください。

初回は知り合いとその知り合いだけの12人。次の会には、みんなが知り合いを呼んできて倍になり、立ち上がりのころは、毎回、参加者の半分くらいの人が初参加という状況でした。

2013年から始まって2年あまり。おたがいさま食堂のやりかたはあまり変わっていません。参加者に「なにが楽しいの?」ときくと、こんな答えがかえってきます。

 ・「それ、そうやって食べるんだ!」という驚きがある
 ・ 肩書きなしで、名前で呼んでもらえる
 ・ 苦手なひとがやる/苦手なことをやる
 ・ こどもと遊びながらワイワイできる
 ・ 片づけがビシッと終わると気持ちいい
 ・ レシピを考えるのが好き


わたしが思っている「楽しい」が、ほかの人と同じとは限りません。おたがいさま食堂の目的うんぬんではなく、参加者それぞれ違った目的できてかまわない、というのが居心地のよさになっているようです。

おたがいさま食堂をやりはじめてから、ごはんのイベントというのは各地にあることを知り、参考にさせてもらいました。こういう食べ方って、どういうカテゴリーに入るんだろう? よく耳にする「個食」や「孤食」に対して、「共食」という言葉はありますが、家族を単位に語られることが多い。それで考えたのが「まち食」という言葉です。

板橋の「プラスワン」や国立の「おかんめし」、世田谷の「共奏キッチン」のみなさんに声をかけ、去年の4月に「まち食サミット」をやりました。このころから、わたしたちのやっている活動がまわりにも見えるようになってきて、メディアでも取り上げられるようになっていきました。

「okatteにしおぎ」の誕生

齊藤

2015年4月、杉並区宮前に「食」をテーマにしたまちのパブリックコモンスペースが誕生しました。月1回のおたがいさま食堂を、常設のかたちで展開した「okatteにしおぎ」です。

普通の戸建て住宅に大きなキッチンを増設し、板の間もリフォームしたリノベーション事業で、大家さんのほか、二階には賃貸で住んでいる方もいます。一階のキッチンは、住人のほか、登録したメンバーが鍵をあけて使えるようになっています。メンバーからは、利用頻度に応じて月1,000〜20,000円の固定費と利用に応じた利用料をいただいて運営にあてています。二階の入居者もメンバーです。

ここでの「まち食」は、夜の時間帯に持ち寄ったり、誰かがつくったりして食べるスタイルです。近所の人もやってきます。入居者含めて登録メンバーは50人くらい。女子もいれば男子も、子どももいます。スペースを映画の上映会などにメンバーが使うこともあります。

okatteにしおぎは、大家さんご自身の「この家をどうしよう?」がはじまりでした。娘さんの独立やご両親が介護施設に入るなどで、家のキャパシティがあいた。それで、わたしの会社に相談にみえたのです。

その大家さんが、たまたま、おたがいさま食堂に来てくれていた。これはおもしろい、食を中心において、みなさんが集えるような場所にしたいということでプロジェクトがスタートしました。

大家さんや設計士さんやメンバーの方々の相互支援的なチームが運営の主体です。メンバーは自分で掃除もします。お金を払っているからといって、お客さん扱いされるわけではありません。おたがいさま食堂の「おたがいさま」の関係を、ここでも構築する。わたしたちはそのためのコーディネーターとして関わっています。

私的領域から生み出す「公共性」

齊藤

おたがいさま食堂も、okatteにしおぎも、プロセスとしては、「わたしのこと」から始まっています。そこでいくつかのコツをおさえれば、「これは自分のことかもしれない」と参加してくれる人が徐々に増えてくることがわかってきました。

「わたしのこと」、「まちのこと」というときのわたしとまちの境目、違いはひとことで言い表すのであれば、「公共性」です。

公共性が高いことをいきなりやろうとすると、地域を活性化しましょうとか、ボランティア活動しましょうとか、だれかのためになにかをやろうと考えがちです。でも、わたしたちは、社会をよくするために毎日ご飯を食べているわけじゃありませんよね。

これって、「公 − 公共 − 私」と並べるといいのかなと思います。公私混同といいますが、公と私の真ん中に、公共という領域がある。公共哲学者の桂木隆夫先生は「公共性」を次のように定義されています。

「考えの異なる人々が、他者に対する恐れと不安、そしてそこから生じる囚人のジレンマ的な相互不信を克服して、互いに協力して共通のルールを形成し、信頼と秩序を築いていくこと」

ちょっと難しいですが、つまり公共とは「信頼と秩序を築いていくプロセス」なのです。あらかじめ公共というものがどこかに存在しているわけではなく、誰かがつくってはじめて生まれるのが公共です。

「公共」というと、国とか地方自治体をイメージするかもしれません。でも、それはむしろいちばん向こう側の「パブリック=公」です。誰かが独占することができない、たとえば道路や病院のようなものといえばよいでしょうか。

けれども、そういう公がつくったもの、公園のようにパブリックなスペースだからといって、公共性が高いかというとじつはそうでもない。たとえば道路は公共のものですが、歩いている人たちは、耳にイヤホンをつっこんで、スマホをのぞきながら、おたがいになんとなく警戒しながら歩いている。そこになにか共通の秩序をつくっていこうという意思はありません。そういう場所は、公共のものだけど、公共性が高いとはいえないわけです。

もうひとつ例をあげるなら、公共施設というものも、そこで公共性が高い活動がおこなわれているかというと、むしろ私的な利用の集積であるにすぎないことも多い。

公のセクターがつくったからといって、公共性が高くなるわけではないことがおわかりでしょうか。逆に、公のセクターでなくても、共通の秩序をつくることはできます。

私的領域の部分から公共性をつくっていく。わたしは、そういうアプローチをとり続けているつもりです。「地域活性」とか「地域○△」とわざわざいわなくても、大きな社会システムを変えるような社会起業をしなくても、自分の暮らしの中の私的領域の部分に少し公共性を付け加えていくだけで、公共領域はつくれるはずです。

それは自分のごはんはもちろん、商売であったり、通う学校のことであったり、自分で少しずつ改善していく余地のあるものだと思います。

「つくればできるけど、誰もつくらなければなくなる」というのが公共です。そういうもろいものであることも、忘れてはいけないのです。

「わたしのこと」を「まちのこと」にする7つのコツ

齊藤

おたがいさま食堂やokatteにしおぎができるプロセスのなかで、このあたりがポイントだったのではないかとわたしが感じたものをいくつかご紹介します。

1. むしろ苦手なことをやる
自分の得意なことからスタートしなくてもかまいません。私が「料理は苦手ですけどやります」というと、「わたしできるよ」という人が現れるかもしれません。「苦手」を差し出すと、誰かの「得意」を引きだせることがあります。

2. 簡単なルールにする・定期的にやる
仲間を誘いやすい仕組みが大事だと思います。できる限りグランドルールを簡単にすること。「つくって食べる」だけで十分です。

3. イケてる名前をつける
イケてる、というか排除される人がいない名前。たとえば「親子食堂」という名前では、半分くらいの人が来られなくなります。名前ひとつで、「あ、わたしのことじゃない」と思ってしまう人がいるのです。

4. いちばんやりたいことは2番目にする
いちばんにやりたいことを目的化してしまうと、遊びの部分がなくなり、なにかを犠牲にしてしまう。そうすると続けるのがきつくなる。わたしたちは、ごはんを豊かにする、というのがいちばんやりたいことでしたが、それをおくびにも出さず、「商店街で買って食べる」とだけいったのが、あとから考えるとよかった。そこから、いろんな人がかかわるチャンスが生まれ、「まちのこと」に広がっていく余地ができたんです。それに2番目くらいの位置づけなら、いつでもやめられます。やめようと思えばやめられる状態を担保しながら進むって、今日を一歩踏み出せる、大事な条件かもしれません。

5. 関わる人を「活かす」
メンバーを自分の目的のために利用しようとしない。一方で、お客さん扱いしてサービスをしすぎない。関わる人同士が対等でないと消耗しやすいからです。たとえば、おたがいさま食堂と商店街の関係でも、「30人で食べるから安く売ってよ」といってしまったらそれは消費者的なふるまいになってしまいます。ネパール料理をやったあとは、そのときのレシピを勝手にお店にはらせてもらった。お互いを活かす関係が大事です。

6. 仲間と一緒に失敗し続ける・いつも実験中
おたがいさま食堂もokatteにしおぎもいまだ実験中です。自分たちのやったことの効果を測定できるくらいの範囲で、トライアルを何回かやってみる。ずっと失敗し続けていいんです。失敗のたびに、こうだった、ああだったということがわかります。そのうちに、最初もっていた自分のアイデアが、みんながやりたいこと、まちのアイデアになっているんです。

7. プロセス自体を楽しむ
多様性や自分との違いをつねに楽しむ。わたしは、めんどくさいことを乗りこえるときの「メンドクサ楽しい」を合い言葉にしています。めんどくさいことは楽しいんだといいきってしまうと、やれることがふえていきます。

「あなた自身が変化になりなさい」

齊藤

わたしが大事にしている言葉のひとつに、マハトマ・ガンジーの言葉があります。

あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。

子育ての環境がもうちょっとよくなったらとか、働き方がもっと自由になればとか、いろんなことがあると思います。それは、もしかしたらだれかが大きなシステム変更をしなくても、自分自身が変化することにこそ鍵があるのかもしれません。わたしも、おたがいさま食堂をはじめるまでは、子育ての環境ってなんでこんなに窮屈なんだろうと、いろんなことを考えましたが、自分の一番身近なことを変えてみたら、だいぶ世の中の見え方が変わってきました。

30日のうちの1日が変わるだけで、残りの29日も変っていきます。
だから、社会を大きく変えようと思わなくても、今、目の前にいる誰かとともに自分が変わっていくことなんです。そういうプロセスを楽しんでいけたらと思っています。今日お話をきいてくださったみなさんが、明日からどういうふうに変化していくのか、わたしも楽しみにしています。

自分が変わっていくとしたら、そのときにまわりの人にかける言葉は、「こうして」、「ああして」ではありませんよね。今日、隣の人に話しかけなければいけない言葉は、「ご一緒にいかがですか?」 そんなひと言だと思っています。

参加された皆さんから齊藤さんへの質問

ーー

知らない人同士が20人も30人も集まると、いろいろ面倒なこともあると思います。それをどういうふうに解決しているのでしょうか?

齊藤

だしのとり方ひとつでもお互い違います。むしろ、「ちがうのはしょうがない」からスタートするんです。ワークショップのなかでもそれはかなりしつこくやりました。ワークショップといっても、難しいことを話しているわけではなくて、うちの味噌汁のだしはこれ、定番の具はこれ、とか。他人との関係でうまくいかないことも、「違いを発見するおもしろさ」に置き換えるとうまくいくような気がします。

ーー

1日が変わると、残り29日が具体的にはどう変わるのでしょうか?

齊藤

自分自身の子育てがつらかったのは、まわりの人がそれを知らなかったということでした。わたしのことをまわりの人が知ってくれていると、ぜんぜん違います。家から駅にいく間にも、知り合いから声をかけてもらえる。息子にも、保育園のお母さん以外の大人の知り合いができたり。具体的になにが起こるということはないけれど、そういう部分はあります。

ーー

イベントに途中から来なくなった人もいるでしょうか? その理由などはわかりますか?

齊藤

来なくてもかまわないんです。わたしたちのバラバラな感じが居心地悪い人もいます。ひとつのイベントに来なくなっても、また別のところに誘えばいいというスタンスです。来られるタイミングで来ればいいし、久しぶりに来れば久しぶりでよいと思っています。

講 師

shinobu-saito
齊藤 志野歩

株式会社エヌキューテンゴ代表取締役


慶応義塾大学総合政策学部卒業後、不動産投資ベンチャーで不動産ファンド運営、住宅開発、商業施設開発等に従事。長男の出産をきっかけに、NPO法人での活動も行いながら、地域とつながりのある暮らしや不動産のあり方を模索。不動産投資会社を退職し、株式会社エヌキューテンゴの代表取締役となる。
ひとの暮らしや、その節目の多くに立ち会う不動産業者が、人と物件をマッチングすることだけでなく、人と人、人とまちを結ぶことに、もっと積極的になるべきと考え、他の創業メンバーと共に「まち暮らし不動産」を立ち上げる。
現在暮らす阿佐ヶ谷で、「食」を通じて地域とつながり、まちの多様性を楽しむことのできる「おたがいさま食堂」を主宰。

株式会社エヌキューテンゴ