西武西武渋谷店

2015年9月16日(水) Think College Vol.35

「もうひとつの日常」のつくり方 〜サンセルフホテルの事例から〜

講師:北澤潤 / 現代美術家・北澤潤八雲事務所代表

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世の中の課題に取り組む人のお話を聴いて、一緒に考える講座シリーズ「Think College」。
9月のテーマは「創造する心を取り戻す」こと。

ごく当たり前の団地の一室が、突然、ホテルになりました。
あなたはそのホテルのホテルマンです。どうぞ、自由におもてなしを考えてください。
そんな不思議なシチュエーションから生まれるなにかを、「アート」と定義してみましょう。
創造する心のいちばん根っこのところを、覗いてみることができそうです。

講 座 レ ポ ー ト

アートともうひとつの「日常」

北澤

みなさんはアートや芸術というものをどのようにお考えですか? 芸術家の作品が美術館にあって、芸術の愛好家がそれを見に行くというのが、一般的なイメージかもしれません。でも、「アートプロジェクト」というのはそれではとらえられない感じがします。

思いきって、芸術の起源を考えるところからはじめてみましょう。この写真は、約3万2000年まえに描かれた、南仏のショーヴェ洞窟壁画です。

写真では明るく写っていますが、実際の現場は真っ暗な洞窟の中です。おそらく洞窟の入り口のほうに人が住んでいたのでしょう。人がひとり入れるくらいの隙間にもぐり込むと、奥が広くなっていて、さらに奥に続いているところにこの壁画があります。

生活空間のはじっこに小さな道を見つけた大昔の人たちが、「これはどこに続いているんだろう? ちょっといってみよう」。そこは真っ暗で、わけがわからない雰囲気です。そこで「ここになにか描いてみよう」となった。彼らは洞窟の奥の不思議な場所で、よく知っている動物を描いたり、鉱物をかみ砕いて手形を吹きつけたり、ということをやっていた。

3万2000年後のぼくたちは、それを芸術の起源と考えているわけです。冒頭の芸術家や美術館みたいなアート観とはちょっとちがいますよね。ここではこれを「芸術」のイメージと考えてみたいと思います。

ぼくにとってのアートというのは、わけのわからない状況に置かれたり、何か違和感を感じたりしたときに、人がとる真摯な応答のことです。小さいときから「日常ってなんだろう」ということをずっと考えていました。

たとえば病院に入院したら自分は患者さんです。学校に行ったら先生がいて生徒がいて、そのときぼくは生徒になる。家族の中では母がいて父がいて、ぼくは次男坊です。そういう「日常」の枠組みのなかで、自分というものがつくられている気がしたんです。

どういうことかというと、みんな日常を生きています。なにか作品をつくったり、表現したりする人にも、その人なりに生きてきた日常という前提があります。その影響が作品になり、表現になり、言葉になり、仕事や生き方を選ぶという選択になる。みんな、日常によってつくられている。それはまちがいなく事実だと思うのですけど、ちょっとくやしいな、と思っていました。

そこで、「もうひとつの日常」というものを立ち上げます。そこが思いきったところです。日常につくられているのだったら、試しにもうひとつ仮につくってしまおう。自分はそのなかで、あたらしい自分に出会えるのではないかということを考えました。

期間限定の「島」での発見

北澤

そこで、なにをしたかというと《浮島》です。これは2009年の「水と土の芸術祭」に参加した作品で、新潟県の信濃川に仮設の島をつくりました。岸辺に平らな船を浮かべてその上に家やタワーや人が集まる場所をつくって「島だよ」と宣言。ぼくは「島民」です。

ここでなにができるかな、と野菜をつくってみたら、たまたま自転車で通りかかったおっちゃんが、毎日やってきて野菜の面倒をみるようになりました。鉄板の上でお絵かきをする子どもや、工房をつくりたいと一部を占拠する中学生もあらわれ、風車をつくって発電し、携帯に充電しようとか、島でいろんなことを勝手にしはじめた。歌をつくる人、笛をつくる人。祭りがはじまり、100人の人が集まりました。

そして、芸術祭の終了とともに、この島は1か月半でなくなりました。

浮島という「もうひとつの日常」をつくったら、新しいことがなにか起きて、自分自身が変わるかもしれない。そういう意味ではじめたプロジェクトでした。しかし、結果として、ぼく自身だけではなく、ぼく以外の誰かが、この浮島という「もうひとつの日常」によって影響を受けていることに気づかされました。

さらに、一過性ではなく、持続的に続けていくことの可能性を感じました。「もうひとつの日常」があり続けることで、私たちの日常が揺さぶられて、きっと変わっていく。そんな予感がありました。

そこから生活に寄り添うアートプロジェクトを展開していきます。たとえば《リビングルーム》。商店街の空き店舗を、地域の人が家具や日用品を物々交換しあうことで「居間」に変えていくというプロジェクトです。集まってきた調理器具を使ってレストランをつくろうと、いきなり地域の人がシェフになったりお客さんになったり、子どもたちが料理をつくったり、そんなことが起きました。

放課後の学校クラブ》は、放課後にオリジナルの学校を開校するというプロジェクト。子どもたちが自分なりの、「もうひとつの学校」をつくります。

震災のあと、福島県の小さな町で続けてきた《マイタウンマーケット》は、仮設住宅に一時的な「手づくりの町」をつくろうというものです。自分たちでござを編んで、そのうえにパン屋さんや博物館、プラネタリウムなどをおいて、自由につくりたい町をつくります。

商店街や学校、被災した地域に「もうひとつの日常」をつくることで、ある発見がありました。

「もうひとつの○○」とはなにか? そこには答えがありません。答えがないことを提示する。つまり、もうひとつの日常を誰かのためにつくろうとしたら、それが、彼らにとっての不思議な、わけのわからない状況になるわけです。

「学校ならもうあるじゃん?」という戸惑いから、「なんだかわけわかんないけど、面白そうだな」と受けとめ方が変わっていく。「もうひとつの町? だったら、こんなものをつくっても、あんなことやっちゃってもいいよね」と発想が広がっていきます。「もうひとつ」というきっかけを与えてあげることで、ひとりひとりの創造する喜びが生まれてくる。誰しもが持っているであろう心のはたらき。その共通性を実感しました。

「もうひとつの日常」をいろんな地域でつくることによって、そこに住んでいる子どもから大人までいろんな人たちに答えのない問いを提示する。すると、それがひとりひとりの創造する心を呼び起こす。やや抽象的な話になりますが、これがすごく重要なところです。

冒頭でお話ししたショーヴェ洞窟と似ているのかもしれません。《浮島》、《リビングルーム》、《マイタウンマーケット》と不思議な提案をすることによって、あの洞窟でヒトが感じたような謎を、創造するチャンスを、現代社会の真っ只中につくれるのじゃないか。

そんな場を生み出していく仕事をはじめて数年たちました。ある種の到達点となったのが、《サンセルフホテル》です。

サンセルフホテルの一泊二日

北澤

《サンセルフホテル》は、茨城県取手市の約2000世帯4000人がすむUR団地に、年2回だけ現れるホテルです。

「セルフ」というのは、まず、つくる人自身。地域の人たち自身がホテルマンになって、ホテルをプロデュースします。幼稚園児からおじいちゃんまで、30人ほどのいろんな人が関わりながら、「こんなタオルハンガーはどうだろう」「浴衣を着てもらいたいから下駄を用意しよう」「風呂に富士山があったらいいよね」と思い思いの発想で、団地の空き部屋をホテルの客室に変えていきます。

ホテルが行われる当日、住民はブルーの蝶ネクタイをつけてホテルマンになります。コックのホテルマンは料理を準備して、お客さんがくるのを今か今かと待ちわびる。バスで来た客をみんなで歓迎します。ロビーでチェックイン、お部屋では女将が手をついてお迎えです。

「もうひとつ」のホテルは、サンセルフですから、「もうひとつの太陽」もつくってしまいます。ふたつの「もうひとつ」が重なりあっているプロジェクトです。

昼のあいだに、団地に降りそそぐ太陽光を集めにいきます。「ソーラーワゴン」という発電システムをつかって、セルフですから、お客さんが自ら電気をつくります。2人のあとを、ホテルマンがぞろぞろついていきます。でも、あくまでお客さんがワゴンをひく。団地のなかを、「ここは毎年祭りをやっている広場ですよ」などと案内しながら、陽当たりのよい場所をさがして歩く「蓄電さんぽ」です。

帰ってきたらおやつがきて、子どもホテルマンによるビンゴ大会がはじまり、ローソクをつくるワークショップがあり、分刻みのスケジュールで「ルームサービス」がつぎつぎにやってきます。

夕方になると、さきほどの蓄電散歩で溜まった電気で、ランプシェードに光がともります。この夜は、自分たちでつくったセルフな電気しか使いません。

夕食は、ホテルマンコックチームの特製ディナー。そのうちに外がざわつきはじめます。直径およそ2.5mの特製のバルーンを、太陽に見立てて夜空に上げるというイベントが待っているからです。ゲストとホテルマンだけではなく、団地のたくさんの人たちも、月見ならぬこの太陽見に集まってきます。

カウントダウンがはじまって、点灯。昼の太陽のエネルギーから生まれた夜の太陽が浮かび、セルフの電気でためた照明で暮らす一泊。そうやって、「もうひとつのホテル」がこの団地にできていきます。

翌朝は客室までお迎えがきて、ラジオ体操のあと朝食。食卓には取手名物の奈良漬けも並びます。お土産をもらって、記念写真を撮って、盛大なお見送りがあり、サンセルフホテルの一泊二日が終わっていきます。

プロジェクトを生み出すプロセス

北澤

この団地でサンセルフホテルの活動が始まったのは2012年9月ですが、ぼくが現場に入ったのは2010年くらいからです。紆余曲折あって、企画になるまで地域に通いながら構想約2年。この地域の日常の中に、どんなもうひとつの日常をつくろうかと思考をし続けました。実際にどういうふうに考えているのかについて、今日は言語化を試みてみましょう。

最初に「1: 抽象的な思考」があります。「日常」の枠組みを問い直す。このころはちょうど、2011年から入っていた被災地の現場とオーバーラップする時期でした。それまでも日常ってなんだろうとつねに考えていたのですが、震災の現場から「日常とは人の力だけでできているものじゃないな」と、自然の大きな力と人のはかなさを感じました。この団地に、自然とともにある日常をもうひとつつくれないか。

そのときに目を向けたのが太陽です。自分たちの手で、太陽という自然の象徴をもうひとつつくることによって、その当たり前にもう一度気づき直す。そして、「もうひとつの太陽」の下に、一時的に現れる「もうひとつの生活」というものを考えていきました。

つぎに「2: 合理的な思考」をします。抽象的な思考をしたまま「もうひとつの太陽」や「もうひとつの生活」をこの地域のどういう場所で、どうやってつくりだせるか。団地のもっている背景、すなわち空き家があることとか、郊外であること。そこに、エネルギーやその地域にあるリソース、ひいては現代社会全体につながる社会的関心を意識します。それをあえて組み込んでいく。

重要なのはまず抽象的な思考があることです。抽象的な思考を、たとえば地域活性といった合理的な言葉と意図的にかみ合わせ、重ね合わせ、掛け合わせていきます。

さらに「3: マネジメント的思考」です。地域での持続的なシステムを考えます。行事のように継続性があったほうが、地域に根づいていくだろう。だから出現型のホテルにしよう。毎日あるわけでも、ずっとあるわけでもなく、ときどき現れる。そうすることによって、行事として定着していくのではないか。

資金についても考えます。宿泊料をとって、サンセルフホテルを維持しよう。不思議なことを続けていくために、お金というシステムをつかう。マンネリに陥らないためには、変化をもたらす他者が必要だ。ゲストという外から来てくれる人が、ホテルマンたちに毎回刺激を与えてくれるだろう。

住民の主体性についても思いをめぐらせます。ホテルマンという役割がつくことによって、自分がホテルをつくっているんだと地域の人が思ってくれる。スタッフやボランティアではなく、「ホテルマン」という認識がすごく大事だ。こうしたマネジメント的な思考が続くわけです。

[1]が最初にあって、そこに[2]、[3]をかけあわせていく。この3つのことをどうやってひとつにしていけるかを考えて、サンセルフホテルがでてきた。サンをセルフで、ホテルをセルフで、ホテルは団地の空き部屋をつかおう。ホテルにすることで継続性が生まれ、ゲストを取り込むことができる。いわゆるイベントではなく、限られたゲストをホテルマンがもてなす。それならこの少ない参加者でも成立する。そういうふうに編み込んでいったわけですね。

結局ぼくは、「サンセルフホテル」という言葉を考えるまでにすごく悩みました。

スケッチや言葉をめちゃくちゃにノートに書きつらねていって、夜中に事務所で、薄暗い光のなかでペーパーを並べ、ここかな、ここでつながるな、と数か月のあいだずーっと考えているんです。頭が動き過ぎちゃって全然眠れなくなるし、夢にも出てくるし、たいへんなことになっています。

そのときは、「抽象的」とか「合理的」とか「マネジメント的」とかそんな言葉では考えているわけではないのですが、おそらく頭の中では前述のようなことをしています。

その2年のあいだに、UR都市機構とも実現に向けたやりとりをしていったり、「電気はだいじょうぶなのかな、移動させて使えるのかな」といった技術面も含めて精査していきました。

2012年の9月、サンセルフホテルの最初の活動がはじまります。団地ホテルづくり市民講座と題してまずはソーラーワゴンづくりから。団地の掲示板に、いきなり「参加者募集」と貼りだしました。

掲示板を見て、いろんな人が集まってきました。説明会も開き、できるだけわかりやすく説明する努力をしました。

実際に使う客室にいって、黄色い紙に、たとえばカーテンはここにほしいとか、テレビはここにあったらいいんじゃないかと話し合う。カーテンを染めてみる。そういったいろんな活動を、半年くらいかけながら、ホテルづくりの講座として進めていきました。そのうちに団地の中や周辺にうわさが広がって、少しずつホテルマンとなる人たちが増えていく。ソーラーワゴンもちゃんとでき、ホテルマンというチームがゆっくりと形成されます。

こうして、サンセルフホテルというものができていったというわけです。

プロジェクトが形になるには、[2]の合理的なことや[3]のマネジメントだけではだめです。[1]の抽象的な部分がなければ、創造する心のところまでは届かない。「もうひとつの太陽」、「もうひとつの生活」、そういう視点が入ってくることによって、わけのわからなさが生じてくる。なぜ「太陽」があがっているのか、そこにはわかりやすい理由なんてありません。でもその「分からなさ」から、人は創造する心を取り戻していくのです。

社会がもっている現実的な思考や、それを続けていくためのシステムによって、いかにして抽象的な部分を守ってあげるか。創造する心を守ってあげる社会の、ひとつのモデル、ひとつの現象を生み出すために、ぼくはアートプロジェクトをやり続けています。

参加された皆さんから北澤さんへの質問

ーー

なぜこの団地でこういうことをやることになったのですか?

北澤

取手市には東京芸大のキャンパスがあり、地域でアートを展開していこうという土壌が元々ありました。その中心となっていたアートNPOからの「団地というリアルな生活がある場所でアートプロジェクトをやっていきたい」という依頼で、生活に密着した視点だったら、ということでぼくに話がきました。

ーー

みんなシャイで、「ほんとはこういうことやりたい」とかを表現するのって難しいと思うのですが、どうやって背中を押してあげるんですか?

北澤

そこは、今日お話していない部分ですね。創造する心といっても、「こんなことやってみたい」というささいな気持ちですよね。でもどうやっていいかわからない。そういう最初の、わからないことに対して向き合う力や形にする力っていうところは、まずはぼくらが併走します。それがけっこう重要で、いちばん言葉にできないコミュニケーションの部分なんですけど、現場にずっと寄り添いながら、話を聞いて、つくり方を一緒に考えていきます。サンセルフホテルも最初はみんなその状態でしたが、1回目をやってみると、「サンセルフホテルって、こういうものかもね」と少しずつ経験が後押ししてくれるようになりました。

ーー

写真を見るとみんな楽しそうですが、たとえばこういったことをよく思わない人々も存在すると思うのですが、そういう人たちとはどのように折り合いをつけているのですか?

北澤

むしろ団地の人全員がいいねと思うことはやっても意味がないと思っています。「なんで夜に太陽なの?」「なんだろうこれ?」みたいな、ざわつきがおきるのがアートプロジェクト。わかりやすかったらそんな反応はありません。そのゆさぶりは大事です。もちろん、クレームへの多少の覚悟もあります。覚悟しかない、というか……。ホテルの階下の人など、騒音とかで実際に迷惑を被る人もいます。そこは事前に説明にいって、最大限理解を求めるようにしています。

ーー

どのくらいの頻度で行われているのですか?

北澤

基本的には4月と9月です。電気の関係上、冷暖房が使えないので過ごしやすいこの時期にだんだん決まっていきました。雨天の場合は中止です。ゲストは3か月前に1、2組を公募します。応募に対して、組み合わせなどを考慮しながら、ホテルマンがお客さんを選びます。今後どうなっていくかはまだわかりませんが、ひとまずは、年2回のペースです。

講 師

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北澤 潤

現代美術家・北澤潤八雲事務所 代表

行政機関、教育機関、医療機関、企業、NPO、地域団体などと協働しながら、国内外各地で人びとの生活に寄り添うアートプロジェクトを企画している。日常性に問いを投げかける場を地域の中に開拓することで、社会に創造的なコミュニティが生まれるきっかけづくりに取り組む。