西武西武渋谷店

2016年1月20日(水) Think College Vol.39

卒業、出産、移住...
ライフステージにあわせて変わる”わたし”の社会課題

講師:藤田香織 (プロジェクトデザイナー / フレンドリーデーインターナショナル 代表)

top画像

世の中の課題に取り組む人のお話を聴いて、一緒に考える講座シリーズ「Think College」。
1月のテーマは、「自分×社会」です。
社会課題への取り組みについて、いまそこにある課題もさることながら、どう"自分ごと"として受け止められるかが大切だと思います。

今回のまちの先生は、プロジェクトデザイナーの藤田香織さん。
大学卒業とともに、アートやデザインの力で社会活動をポップにしたい!と、「フレンドリーデーインターナショナル」を立ち上げ、その後、自身の出産や子育ての気づきから、ファッションを通じて途上国や被災地の妊産婦支援を行う「MODE for Charity」をプロデュース。また、結婚を機に都内から移住した九十九里での東日本大震災の経験から、地域コミュニティを育む「コレカラ99」を地域の皆さんとはじめられたりと、自身のライフステージにあわせて、その時々で直面したことを元に、しなやかに活動を展開されています。

そんな、藤田さんのお話を伺いながら、自分らしい社会課題への向き合い方を、一緒に考えてみました。

代官山から九十九里へ

藤田

こんばんは。藤田香織と申します。1979年生まれ、36歳です。2007年まで東京の代官山で仕事をしていたのですが、いまは、この時間になると真っ暗になる九十九里からまいりました。わたしの生き方がすべて仕事につながっているようなものなので、今日は、わたしの講演ではじめてプライベートなこともバンバン出していきたいと思います。

わたし自身は松戸市の出身です。高校は東京の女子校、大学も東京、その間に何度かドイツに短期留学をしました。その後、2003年にフレンドリーデーインターナショナル(FDI)という小さなNPOを立ち上げ、代官山に事務所を置きました。2007年27歳で結婚。このときに夫の仕事の関係で九十九里に移住し、翌年、長男を出産します。2011年に東日本大震災。2013年、34歳のとき、双子の女の子が授かりまして、いま2歳になっています。

わたしの暮らしはこんなふうです。
朝6時に起床。小学校1年生の長男は10時間たっぷり寝る子なんですが、体を動かさないと起きないので、20kgをおんぶするところからわたしの1日がはじまります。朝ごはんのところまで連れていったらまた寝室に戻り、双子を起こして、夫と協力しながら8時半に保育園に送っていって、そのあと9時から仕事をします。昼食のため自宅に帰るのですが、そのときに夕食をつくってしまい、そのあとまた仕事。3時に小学生が帰ってきて、双子をお迎えに行って、宿題と明日の用意をさせつつ双子のぐずりを阻止しながら夕食の準備をして、6時にごはんです。7時にお風呂。8時に子どもたちを寝かせて、そのあと家事をします。保育園のほうは、毎日、日記を書かないといけないんですね。それを書いたらやっと自分の時間。ここでわたしは情報収集をするので、印をつけながら本を読んだりします。そして12時に就寝。独身時代には7時にお風呂に入るなんて考えられませんでしたが、いまはこんな生活を送っています。

社会活動をカラフルに

藤田

わたしの仕事は、プロジェクトデザインです。FDIにはじまり、そこからいろんなプロジェクトが派生して、いまでは複数に同時に携わっています。プロデュースしているのはみんな社会活動。そもそも、なぜ社会活動に興味を持ったかという話をさせていただきます。

高校のときに、ミーガン・エッソンというオーストラリア人の女の子が、交換留学生としてわたしの高校に来ることになりました。
「だれかホストシスターをやってくれる人?」と先生にいわれた日、わたしは家に帰って「ホストファミリーをやりたい」と家族にいいました。両親はすぐにOKしてくれ、ミーガンはわたしの家に1か月間滞在することになりました。ひとつ年下の彼女とは高校生同士すぐに打ちとけ、友だちのことも、好きな人のことも、洋服や音楽の流行のこともいっぱい話をしました。日本語は勉強してきたけどあんまり話せない彼女と、英語は勉強してきたけど話せないわたし、お互い辞書を引きながらの会話。でもすごく楽しくて、言葉の壁を越えてコミュニケーションする楽しさを知りました。世界中に友だちをつくりたいと思った原点がここにあります。

大学4年のとき、MR.FRIENDLY(ミスター・フレンドリー)というキャラクターと出会います。わたしが小中学生のときにファンシー雑貨として一世を風靡したもので、代官山にあるショップも雑誌に地図がのるほど流行っていました。大学生になって、たままた代官山に買い物にいったとき、ふらっと立ち寄ったところがここだったんです。そこで目に留まったのは、商品のタグでした。「世界中のひとびとにハッピーを届けたい!」というメッセージが、すべてのタグについていました。

当時のわたしは、国際交流に興味はあって、もちろん世界が平和になったらいいなと思っていたんですけど、そのころ平和活動、チャリティ活動をやっている人たちってだいたいみんな頭にバンダナ巻いて、「ああいうふうになりたい」と思える人たちではなかったんですね。それにエコや環境保全をうたった商品も、生成っぽい色ばかりで、やっぱり魅力的にはうつらなかった。 それなのに、ミスター・フレンドリーのタグに堂々と「Love & Peace」って書いてあるのを見て、わたしは心をひかれました。「社会活動ってカラフルでいいんだ」。

大学でドイツの美術を専攻し、現代美術のアーティストにも関心をもっていたわたしは、アート感覚とデザインと社会活動を融合させたらぜったいにスマートになって、若い人にも訴えられるに違いないと考えました。

わたしは、すぐにこのキャラクターを生んだスーパープランニングという会社を訪ね、自分のアイデアを話しました。ちょうどそれが、この会社で社会貢献チームの立ち上げが検討されていたというタイミングだったんです。当時のわたしは名刺の渡し方も知らない学生。でも、むしろそれが好印象だったらしく、とりあえずがむしゃらにやれと、フレンドリーデーインターナショナルの立ち上げスタッフとして活動することとなりました。

それまで卒業後はドイツで働こうと思って準備をしていたのですが、自分の国で、母国語で、23歳のわたしが企画から運営までできるチャンスなんてほぼないと思い、この活動に飛び込んでしまいました。

スーパープランニングは、社会貢献活動の一つとして、4月14日を「フレンドリーデー(世界のみんなが仲良くする日)」として日本記念日協会認定に登録していました。これをいかに広げるかが、わたしの最初のミッションです。

もうひとつのミッションが、「リユースTシャツ」。イベントやアパレル業界をはじめとしたTシャツを作る企業には新品でまだ着られるのに捨てられてしまうTシャツがあります。それを回収して、裏返しにして、新しいデザインをプリントして販売するという環境活動です。それを社会貢献チームの活動費にあてるということからスタートしました。

その後2007年まで、おもにギャラリー企画を同時多発的にやりました。2007年はパリのコレットという、世界一のセレクトショップといわれる場所でリユースTシャツを販売し、同時にフレンドリー・デーのキャンペーンをおこなう機会に恵まれました。

結婚、そしてなんとなく移住

藤田

話は一転してプライベートに移ります。同じ千葉県出身の夫の仕事のひとつは、農業プロデュース。農家の営業マンとして、ITの技術を駆使し、おいしい農産物を直接消費者に届けるサービスをしています。

当初、彼の事務所は有楽町にありました。ところがそんな都心では説得力がないと、自分の実家のある千葉県の九十九里に帰ると言いだした。わたしは自分の実家も同じ千葉県だし、ま、どうにかなるか、と深く考えずに引っ越しました。そしたらまあとんでもない……というか、“当時”は「とんでもない」と思っていた生活が、はじまったんです。

道ですれ違うのは腰の曲がったおじいちゃん、おばあちゃんばかり。商店街は夜7時になるとみんなシャッターが閉まっています。夜道は月明かりがたより、友だちもゼロ。こういう生活でした。

そんななか、間もなく妊娠。
環境に慣れなかったせいもあって、妊娠8か月のときにお腹が痛くなって救急車で運ばれてしまいます。このまま生まれると赤ちゃんの肺に障害が残るかもしれないといわれ、恐怖と不安に襲われながら、勝負のひと晩を過ごしました。結局、危機は脱したものの、トイレと食事以外は座るのもだめという状態で出産までの日々を送ることになりました。

ある日、横になりながらPCを開いていて「プルミエール」という映画の予告編を見ました。フランスの映画監督が世界中の出産を取材したドキュメンタリーです。マイナス30℃のなかでの出産とか、病院もなければ医者もいないアフリカの大地の上でとか、過酷な出産を目の当たりにして、「じぶんはいままですごく不安だったけど、救急車を呼べば来てもらえるところにいるんだ」と気がつきました。それに比べてこのお母さんたちは私よりもずっと過酷な環境の中にいる。どんなに不安だろうと興味をそそられ、調べているうちに、世界中の、とくに途上国の妊婦さんを守る「ホワイトリボン運動」というのがあるのを知りました。わたしはもうそのころ臨月だったんですけど、手帳にこのことを書き留めて、いつか落ち着いたらなにかこれに関わろうと思いながら、その日は手帳をとじました。

後日、この体験が「MODE for Charity」というプロジェクトにつながります。ホワイトリボン運動の日本窓口が、ジョイセフという国際協力NGOなんです。そこに自分の経験と、なにか役に立ちたいと問い合わせたら、快く受け入れてくださいました。2008年当時、HIV啓発のレッドリボンや乳がん啓発のピンクリボンは有名でしたが、ホワイトリボンはまったく知られていませんでした。ジョイセフのほうでも、その認知普及活動に力を入れたいと考えていたんです。

ミスター・フレンドリーと出会ったときから、わたしのコンセプトはつねに「社会活動×デザイン」。かっこよさを演出するということがつねにテーマにあるというお話をしたら、NGOのダサさから脱却したい、じゃあ、いっしょにやりましょうかと話が進んだ。小さな小さなNPOと、ジョイセフという世界的なNGOの共催でファッションショーが実現します。モデルの冨永愛さんも賛同してくれて、他にも数多くの著名な方々がチャリティで協力してくださいました。

東京で開催したMode for Charityの賛同者のなかに東北出身の方が3名いらして、その方々からのはたらきかけでこの運動は東北にも広がり、「to Mothers –みちのく-」というかたちに発展。私はプロデュースを担当しました。2010年12月1日に大きなイベントを開催。でも、その3か月後に震災があって方向性を見直すことになり、いまはアフリカのママと東北のお母さんをつなげるようなプロジェクトを再考している状況です。

震災を期に、地元に向き合う

藤田

2011年3月に東日本大震災が起きましたね。

その週は子どもをおばあちゃんに預けて、わたしはずっと東京で仕事をしていました。金曜日も、とあるセミナーを受講する予定だったのですが、今週は子どもを預けっぱなしだし、行くのをやめよう、と自宅脇の事務所に子連れ出勤していました。その日の午後、震災が起こりました。九十九里浜にも津波が来て、私も一時は子どもを連れて避難しました。そして3日間、電気、水道、ガスが止まりました。

ところが、これって田舎にとっては不便なことではなかったんです。畑にいけば野菜があって、火が燃やせて、そこでご飯が炊けちゃう。ただ、情報が入ってこない怖さだけはありました。

予定していたイベントは全部中止もしくは延期になり、わたし自身も、東京に行けなくなりました。というより、あの日わたしがもし東京に行っていたらどうなっていただろう。それを考えると、子どもを置いてひとりで出かけられなくなってしまった。

仕事も止まったし、とりあえず地元にいようと決めたら、地元に向き合うしかない生活がすぐに始まりました。

ある日、移住した人がやっている食堂に食事に行きました。その店主がすごく明るい話好きの女性で、いろいろおしゃべりしていたら、わたしの主なプロジェクトのひとつ「リユースTシャツ」のファンだということがわかった。
「ねえ、あのTシャツ、九十九里でも売ってくれない?」と彼女にいわれたとき、不思議な気がしました。それまで、地元で仕事をすることなんて考えたこともなかった。Tシャツだってどうせ売れないだろう、くらいにしか思いませんでした。

ところが、話を聞いてみると、じつは九十九里には移住者がたくさんいるという。その多くがサーファーです。彼らの多くは環境問題に興味があって海を大切にしています。文化的な意識も高い。そういう人たちがお店を出したり、マーケットを開いていたりという場が、九十九里にはもうすでにある。わたしが見ていないだけだったんです。

ちょっと地元に目を向けてみようかと、息子を連れて、ドライブがてらリサーチ。そしたら、それまで「コーヒー飲める店もない」「歩いて飲みにいける居酒屋がない」と文句ばっかりいっていたのが、「九十九里にもあるじゃん」頭のなかが180度変わっていました。

いろんな人と話をすればするほど、じつは東京から移住してきたとか、農家のお嫁になったんだけど、東京の大学を出てこの前までOLしていたとか、話の合う友だちがどんどんふえていきました。その人たちと話すと、必ず地域の話になる。こうできたらいいよね、ああできたらもっといいよね。課題をもって話さなくても、お茶を飲みながらそういう話が出てくるようになりました。

「コレカラ99」の始動

藤田

そのころ、東日本大震災の被災に関する補助金の募集がありました。わたしの夫が勝手に申し込んでいたのですけど(笑)、「新しいコミュニティを九十九里につくりたい」とプレゼンしたら、3年契約の助成金がおりたんです。夫は、地元に目を向けはじめたわたしの動きを見ていて「この機会に、ちょっとまじめにコミュニティについて話してみようよ」といってくれました。そこで感度の高い10名を集めて、約1年間、ひたすらブレストを続けました。当時は地方がやっと注目されはじめたころだったのですけど、海外なども含めて事例を持ち寄って、シェアしたりしていました。

1年後、住民コミュニティ「コレカラ99」をスタートします。
コンセプトは、「自分が地元を自慢できる町に」。九十九里って海岸線が66キロあるんですね。そこに隣接している市町村をエリア指定して、そのなかで「住んでいる人」「いずれ住みたい人」「好きで通っている人」をターゲットに、20代〜40代の人たちで新しいコミュニティをつくりましょうと呼びかけました。キックオフイベントに100名以上、あの田舎に集まったんです。ここから、いろいろなプロジェクトが勝手にどんどん立ち上がるようになりました。

やがて「これをやりたかったんだよね」とつぶやいていた人が、自分で動きはじめた。それはたぶんSNSの力もあります。みんなが一人ずつプロデューサーになる感じで、いい気運づくりができたかなと思っています。

「コレカラ99」のメインプロジェクトは、「ミライカフェ」です。月に1回集まって、九十九里のミライについて語ろうという場づくりでした。
この活動のなかで、産後セルフケアインストラクター若菜ひろみさんとの出会いがありました。九十九里の睦沢町の出身で、ふだんは妊婦や産後の女性を対象にしたバランスボールエクササイズなどをやっている。その方が、生まれ育った九十九里エリアに産後ケアを浸透させたい、と「ミライカフェ」のたびに訴えるんですね。

引っ越してきた当初、九十九里という田舎に慣れなかったという話をしましたが、わたし自身、ほんとに産後うつみたいになったときもあったんです。だから、彼女から産後ケアがどれほど産後うつや虐待の防止に役立つか、という話を聞いたとき、とても共感しました。わたしもプロデュースを手伝うことになり、九十九里で産後ケアを根づかせるための「SANZEN SANGO〜セルフケアとおいしいごはん〜」がスタートします。

バランスボールで有酸素運動をしたあと、産後の女性が二人一組になって、自分のことをふりかえり、話す時間をもちます。そして地元の薬膳コーディネーターとフードクリエイターによる薬膳ごはんを食べながら、ママ同士の会話をして帰る。

何回か回を重ねるたびに参加人数がふえてきているのですが、わたしたちの目標は、これが自治体の公費で行われるようにすることです。プレゼンや働きかけの結果、2016年度は13市町村のうち2つの自治体で試験的に導入してもらえることになりました。

「そして、ある日、こんな声を聞いた」

藤田

「夫が仕事をリタイアしたけど、ネクタイが捨てられないのよ」

これは、リユースTシャツをやっている、わたしのところに届く声。60代でリタイアした人のネクタイともなると、けっこうな高級品です。いらないけど、もったいないから捨てられない。状態もいいし、リボンにしたらかわいいんじゃないかと思いつきました。そうしてサンプルをつくってもらったのが、子ども用の蝶ネクタイです。

「ネクタイにも第二の人生を」というコンセプトで「RETIES(リタイズ)」と名づけました。

大きさ的に、小学校入学の子どもにちょうどいい。お祖父ちゃんからお孫さんへのプレゼントとかにできたらいいなと、スタートしたばかりの試みです。

いままでのことをまとめると、すべてのプロジェクトにはきっかけとなるできごとがありました。ミスター・フレンドリーとの出会い、妊娠、出産の経験、震災、産後、寄せられた声、会話。うまくいったことばかりお話ししてきましたが、もちろん、たくさんトラブルがあったし、投げ出したい時もいっぱいありました。でも、わたしの場合は、すべて、じぶんが体験したことからスタートしている"じぶんごと"です。じぶんごとなので、じぶんの言葉で伝えられる、そうすると共感を得られやすい。ファンもついて、サポーターも長く応援してくれるというからくりになっている気がします。自分の思ったまま、感性のまま仕事をして受け入れてもらっているのはほんとうにありがたいことだと思います。

社会活動に抵抗なくとり組める日本人というのは、まだ多くはありません。自分の生活にとり込めている人は、ほんとにごく一部でしょう。ほんとうに自然体にスタンダードに社会活動をしていくためには、それぞれの人がじぶんごとに関わるというのがだいじなのだと思います。逆に、そうでなければ人に伝えることはできない。だから、いまの時代の社会活動は、まずはみんなじぶんごと、じぶん本位でいいんじゃないかと思っています。

講 師

kaori-fujita
藤田香織

プロジェクトデザイナー / フレンドリーデーインターナショナル代表

1979年生まれ。千葉九十九里在住。3児の母。
大学卒業後、ドイツで働こうと決心するも、株式会社スーパープランニングが展開しているソシアルキャラクター「ミスター・フレンドリー」との出会いをきっかけに渡独を辞退。社会活動はダサいもの、という考えを持っていたかつての自分を含め、日本人のチャリティに対するギコチナサをナメラカにしたいという想い、そして、アートやデザインによる“あこがれ感に溢れた社会活動”実現のため、2003年8月、23歳の時にフレンドリーデーインターナショナルを立ち上げる。その後、社会活動×アート、デザインを意識し、たくさんのアーティスト、デザイナーを巻き込みながら様々なイベントやプロジェクトを展開。主なプロジェクトに、世界中みんなが仲良くする日、4月14日「フレンドリー・デー」と、新品なのに捨てられてしまうTシャツを回収し、リユースする「リユースTシャツ」がある。
その後、長男を出産、その経験から出産や子育てにまつわる問題にも取り組み始める。「MODE for Charity」、そして「to Mothers –みちのく-」はその一環。
さらに、東日本大震災被災時に地域コミュニティの大切さを実感し、「コレカラ99」を立ち上げ地域活性化事業にも関わり始めた。最近は、子どもとともに田舎で暮らすライフスタイルにも注目が集まりつつある。

フレンドリーデーインターナショナル

コレカラ99