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2016年7月20日(水) Think College Vol.45

建築→不動産、東京→京都、
自分を少しずらして、仕事をつくる。

講師:岸本千佳 (addSPICE主宰 / 京都移住計画 / DIYPKYOTO)

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世の中の課題に取り組む人のお話を聴いて、一緒に考える講座シリーズ「Think College」。
今回のテーマは、「自分の仕事をつくる」こと。

京都と東京、ふたつの暮らしを肌で知っている岸本千佳さんは、
建築設計からリノベーションの世界に泳ぎ出た不動産プランナー。
岸本さんの語る「ズラす」と「組む」というキーワードに、
やりたい仕事を実現していく、したたかな戦略と方法論のヒントが隠れています。

場所を「ズラす」

岸本

こんばんは。お仕事帰りにお集まりいただき、ありがとうございます。岸本と申します。1985年京都生まれ、大学は関西の建築の大学を出まして、そのまま新卒から東京の不動産のベンチャーで会社員として働き、シェアハウスを量産しました。当時、2009〜2013年はシェアハウスというものがすごく増えた時期でした。またDIYという、借りる人が自分で改装できる賃貸スタイルの立ち上げなど、その時代の不動産業界でのトレンド創生に関わることができたように思います。

その後、京都に帰ったのですが、1年間は京都市役所で非常勤の仕事をしながら、並行して自分の仕事を育てました。今は個人事業主として「addSPICE」を主宰し、建物の有効活用の仕事をしています。あとは改装できる物件を集めた「DIYP KYOTO」というサイトと、「京都移住計画」という文字通り京都への移住者の応援団をやっています。

ところで今日は京都とか建築とかにこだわらず、わたしがやってきた「ズラす」と「組む」ということについてお話をしたいと思います。

まず「ズラす」ことについて。わたしは仕事の場所を「東京→京都」にずらしました。

京都というと、とにかく京都が好きで……と「京都愛」があるように思われがちなのですが、それはいっさいないんです。わたしが引っ越したのは2014年の年始。「移住」というのがひとつのキーワードになり始めたころでした。移住でなくても2拠点居住とか、とにかくなんでも東京でなければという価値観がなくなってきているときだったんですね。

会社を辞めて独立すると決めたとき、京都のほうが可能性があると感じました。その理由は、プレイヤーが少ないこと。わたしはいわゆるリノベーション、もともとある建物を活用するという世界にいるのですが、東京にはそういう人がとにかくたくさんいます。年齢的にも50歳とか、40歳代後半の人が最前線という比較的若い業界です。少なくともあと15年くらいは引退しそうにない。しかもみんなバブル世代でパワフルです。

かたや京都には、それがぜんぜんいないのです。帰ってみてこのことを実感しました。その業界でやってらっしゃる人というと、一人くらいしか思い浮かばない。地方には人材が圧倒的に少ないんです。

もちろん、建物を扱う仕事ですから、京都にある建物が魅力的だったという理由もありました。その点、たとえ自分の地元でなかったとしても京都を選んだと思います。

私の主宰する「addSPICE」は、建物の有効活用がおもな仕事です。建物の活用というと、普通は設計士や工務店、不動産屋とか会計士、管理会社と、ばらばらに関わることが多いと思います。でも、そこを一括して見る人がいたほうが、スムーズでいいものができるんじゃないか。そんなアイデアがこの仕事を始めたきっかけになりました。

具体的にどういうことをしているかというと、たとえば福岡に本社がある会社から京都事務所をつくりたいというお話があったときは、社員のみなさんで町家を改装するお手伝いをさせていただきました。

町家ばかりやっているわけではありません。住宅をIT事務所にしたり、駐輪場をバーにしたり、工務店の倉庫を事務所にしたり、普通のマンションをシェアハウスにしたり、そういう仕事をしています。

ここでひとつお伝えしたいことがあります。地方には仕事がないとよくいわれますが、そうではないと思っています。たしかに会社員的な仕事は少ないし、給料も東京より給料が下がります。でも「自分でつくれる仕事」は、ある。これは京都に帰って確信したことです。ほかの人の経営スタイルを見ていてもそう感じます。地方の地元に帰ろうかとお考えの方は、これを頭にとどめておいていただければと思います。

職種を「ズラす」

岸本

もうひとつ、ずらしたことがあります。話がちょっと戻りますが、大学で建築を学んでいたときのこと。普通、建築学科の人なら就職はハウスメーカーか設計事務所、少なくとも設計に関わっていきたいと思うものなのですが、わたしはここでも「建築→不動産」とずらしたわけです。今でこそ、こういうこともメジャーになったかと思うのですが、10年前は先生や彼氏にも「えー?」といわれるくらい、就職先の選択肢にはあがらない業界でした。

大学にいたころから、卓上で勉強するより外に出て、学外の講演会とかプロジェクトに関わったり、瀬戸内の美術館で働いたりしていました。そういうときに思ったのは、自分は建築では食べていけないなということでした。設計が好きでたまらないわけでも、すごく才能があるとも思えなかったし、自分が設計で生きる気がしなかった。もう少し町というものを俯瞰して、寄与できる仕事ができないか。そこで浮かんできたのが「不動産……なのかな?」という感じでした。

このように、いつも「……なのかな?」と仮定のうえに選択を重ねているようなもので、わたしのなかでは「絶対これ!」というのはないんです。だからこのあとも絶対に京都にいるかというと、正直それはちょっとわからない。今のところ京都でギリギリ生きていけるくらいの仕事はしているのと、まだここで成し遂げたものがない、まだやりたいことがあるので京都にいるという感じです。いつか東京に帰ってくる可能性もありますし、あくまで仮定で動いている感じの現在進行形です。

それでも、振り返ってみると、ずらしてよかったと思うことがいくつかあります。そのひとつが競合せず協働できること。最初に入ったベンチャーというのが同僚のつながりが強い会社だったので、先輩のおじさまたちとも同世代の人とともすごく仲がよくて、今でも会社という枠を超えてつきあうことができています。同じ東京という市場であればお互いライバルでしかないのに、京都にずれたことで一緒に仕事もできる関係になっています。

また、プレイヤーが少ない場所ならイニシアティブをとれるというのは大きいですね。NHKの「人生デザインU-29」という番組に出させてもらえたのも、おそらくは京都でわたしのような仕事をやっているのが珍しいからというのが大きな理由だったと思います。

今までやったことがない市場をつくっていると、地元のいろんな人たち、たとえば西陣織の老舗の社長とか、そういう人も応援してくれます。最初は、たいした仕事もしてないのに注目されるのが正直いやだったのですが、話題をつくることで仕事が舞い込んでくることも少なくありません。今は、先行して話題になることも悪いことではないと思えるようになりました。

異業種と「組む」

岸本

つぎは、「組む」ということについてお話ししましょう。基本的に私は個人事業主。だれかと会社をつくっているというわけではなく、「DYIP KYOTO」とか「京都移住計画」といったプロジェクトごとに違う人と組んだりしながら、一人で仕事をしています。

これは好みというか、自分の性格にもよると思うのですが、失敗談を申しあげますと、京都に帰ってすぐに、地元で同じような仕事をしている人と一緒に株式会社をつくったことがありました。考え方が合っていたし、得意なことやできることが違っていたので、そのズレもいいなと思っていました。ところが実際に仕事をやっていくと、どうも合わない。これはほんとに、やってみなければわからなかったことで、どうしようもありませんでした。

設立時に折半した費用の精算などもあり、半年くらいはたいへんな思いもしました。でも、そのあと人と組むのに慎重になりましたし、2年経った今はよい経験だったと振り返ることができます。建物を扱う仕事をしている以上、一人で完遂することは不可能なので、以来、その都度ごとに誰かと組むようにしています。

「京都移住計画」は、その名の通り京都に移住する人を応援するプロジェクトで、異業種と「組む」かたちをとっています。

ここでは「居・職・住(いしょくじゅう)」すなわち居場所(コミュニティ)と仕事、そして住というのが三本柱です。コミュニティづくりのためにはイベントなどを開催するのですが、職の部分はもともと人材業界にいた田村篤史という人が代表をつとめ、住む家探しや不動産の部分をわたしがやっています。そのほかのメンバーもみな同世代で、ウェブデザインとか、八百屋さんとかそれぞれ異業種。ほとんどが個人事業主か自分で株式会社をしているような人で、案件ごとに組むというスタイルで仕事をしています。

このプロジェクトのメインの仕事は、求人と物件の情報提供。じつは人材と不動産というのはすごく似ていて、仲介するのが人か建物かという以外は、お金のとり方の仕組みとか、手法とか共通点がたくさんあります。ベンチャーが多く実力主義なところ、扱う金額がわりと大きいので責任が重いところや、ときには気がめいったりする点でも通じるものがあって、たとえば連絡がつかなくなった人にどうやってアタックするかとか、お互い相談もできてすごく助かっています。

この「京都移住計画」というのは、もともと求人と物件を掲載するサイトだったのですが、そもそも物件探し以前に、京都でどういう暮らし方がしたいかとか、京都でどういうイメージで仕事をしたいと思っているのかといったことを一緒に考えるってことがまず大事なんじゃないか。わたしたちはそんなことに気がつきました。今、このプロジェクトではわたしと田村と相談者という三者で話をする「職住一体相談会」を有料でやってご好評をいただいています。このあたりが普通の不動産屋さんとかエージェント、人材派遣会社とは違う特色にもなっていて、異業種で一緒にやっているメリットかなと思っています。

このほか、伝統工芸の仕事をやっている人のもとにお試し移住のプログラムなど、職住一体の職人の町でなければできないこともプロデュースしています。

人と「組む」

岸本

ときには、この人と仕事をしたいなという人が現れることがあります。その一人が「SWAY DESIGN」の須藤菜緒さん。彼女の拠点は石川県で、私は京都。一緒に会社をつくれるくらい気が合うし、仕事のバランスもいいのですけど、拠点が離れているため、一緒に仕事をするのは難しい。でも何かしたいねと「カフカリサーチ」というサービスをスタートしました。この仕事がしたいというのもありますが、この人と仕事がしたい、というのが大事でした。

建物をどう使ったらいいですか、という相談を受けることが多かったので、このサービスではその物件でシェアハウスがつくれるのか、宿泊施設とかゲストハウスができるのかというのを調査します。可か不可かリサーチするという意味で「カフカリサーチ」。こういうサービスはこれまでなかったので、需要はあるんじゃないかと思っています。今年(2016年)スタートしたばかりなので、相談案件はまだ一ケタですけど、同業者からの依頼もあるなど多少の反響はかえってきています。

行政とも「組む」ことがあります。これからスタートするプロジェクトなのですが、高齢者の自宅の一室に若者が住むという、下宿の新しいかたちをつくろうと京都府と協働して進めているものがそのひとつです。 高齢者夫婦の家に他人の若者が住むというのは、内容的には素敵だし、みんな不動産とかリノベーションの仕事をしていたら思いつくシステムなのですが、これを一不動産屋がやるとすごく怪しい、詐欺じゃないかと疑われるんですね。だから一個人とか一不動産屋では絶対にできない、京都府という絶対的な安心と組むからできる仕事だと思います。

私自身も、これはほんとにやりたかったことであり、でも個人ではできないと諦めていたのですが、京都府のほうから相談を受けて実現することができました。京都府としても、高齢者の助けになるし、若者が京都以外のところへ流出するのを防ぎたいというねらいがあるようです。お互いにメリットしかない。こういう試みで行政と組むというのも、ときにはよいことだなと思っています。

町と組んでディレクションする

岸本

地元とのつながりをつくる意味で、地元のいわゆる有力者と「組む」ことも重要です。宇治での実践例をひとつ、ご紹介しましょう。宇治というのは京都の南のほうにある町で、平等院が有名です。

この宇治というのがまた、平等院と宇治茶の店が並ぶ参道しかなくて、町としての魅力に欠けているんですね。わたしはたまたま宇治出身なので、それがよくわかります。調べてみると平均滞在時間はわずか3時間。平等院に行って、参道を散策して終わりです。

「このままでは町がすたれていく」と地元のトップが危機感を持ち、地元の人も観光で来る人も楽しめる町をつくっていこうというプロジェクトが動き始めました。 私はディレクションする立場で関わっていて、デザイン的なものは、いろんな人にお願いしてつくっています。あとは、宇治をフィールドにしている大学の先生とか、宇治市とか、商店街の組合とか、宇治に関わるみんなが一緒にやっているという感じです。

地元の出身とはいえ、これもいくらわたしがやりたいといっても絶対やれない仕事です。やはり地元のトップ(この場合は平等院さんなのですが)、有力者と組むからこそ成り立つものだと思っています。といっても、いくら力があっても地元だけではやれない。ある程度外部の、わたしみたいな立場の人間を介することで円滑にまわるということがあるようです。

このプロジェクトでは手始めに、1つの建物をリノベーションします。物件は大きい町家と工場が一体になった100㎡くらいの建物。ここで店舗をやる人を3組募集し、見学会を企画しました。実際は、このプロジェクトに興味がある人とか、宇治の近くに住んでいる方とかにも開放してみたところ、総勢100名くらい集まってくれました。店舗の入居者として応募した人は30人くらいだったので、残りの7割はプロジェクトそのものに興味を持った人や、近くに住んでいるおばあちゃんだったりといった顔ぶれでした。

見学会というと普通はできあがった建物をお披露目するためのものですが、わたしたちの見学会はまず、建物の内部を解体したような状態で見せることにチャレンジしました。

「この状態で見せましょう」とわたしが提案したねらいは、これを見たら絶対このあとも気になるに違いないと思ったからです。気にかけてもらえば、きっと完成見学会にも見に来てくれます。ずっと気にかけてもらう、一緒につくっていくというのをコンセプトにしているので、「ファンを増やす」という意味であえて見てもらったわけです。

このプロジェクトに関しては、おおまかな5か年計画を立てています。5年でできるかどうかはさておき、まずはひとつ物件を動かすことで流れをつくり、4年後くらいにはそこが相談所として機能できるくらいに育てる。もちろん自分たちだけで全部手がけたいとは思っていません。今は、空き屋が出てもだれも店をやろうとかいう気配がいっさいないので、大家さんに対して「物件を貸したらこういうことができますよ」という未来像を見せていく。そうして、ゆくゆくは行政も放っておけないくらいの勢いにしていきたいと考えています。

おわりに

岸本

ずらしたり組んだりするのって、メンドクサイというか、一見遠回りっぽいのですが、自分がこの10年くらいそんな動きをしていて、意外に近道なんじゃないかというふうに思うようになりました。考えていることとか、やりたいことは学生のときとさして変わらないんです。目的、頂点が変わらないのであれば、それを達成するためにとるルートがみんなと同じでは、そのなかで一番上をめざすのなんか、何十年かかってもできるかどうかわからない。だったら、ずらしたほうが早いし、納得して自分のペースで歩めるのではないかと思っています。

講 師

chika-kishimoto
岸本千佳

addSPICE主宰 / 京都移住計画 / DIYPKYOTO

不動産プランナー [宅地建物取引士]
1985年京都生まれ。滋賀県立大学環境建築デザイン学科卒業後、東京の不動産ベンチャーに入社。2014年に帰京後、addSPICEを設立。不動産企画・仲介・管理を一括で受け、建物の有効活用を業とする。他、改装可能物件サイト「DIYPKYOTO」の運営、京都移住希望者を応援するプロジェクト「京都移住計画」としても活動。暮らしに関する執筆も行う。

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