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2016年8月18日(木) Think College Vol.46

地方を選んだ女子の新しい暮らしかた
〜移住女子の先輩たちと、これから移住するわたしのこと〜

講師:土屋望生 (移住女子モデレーター)

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昨年末、「全国移住女子サミット」というイベントが開催されました。

自分の、オリジナルな暮らしをつくるために、都会ではなく地方を選んだ
先輩”移住女子”たちから、移住の理由や、地方での暮らしの実際を聴くこのイベント、
チケットは完売、超満員の開場の参加者の9割は20〜30代の若い女性、
テレビや雑誌などのメディアから、地方創生相の石破大臣まで来ていたりと大盛況だったそう。

世の中の課題に取り組む人のお話を聴いて、一緒に考える講座シリーズ「Think College」。
今回のまちの先生は、「全国移住女子サミット」でモデレーターを務めた土屋望生さん。
これから、10年離れた故郷・熊本県五木村にUターンしようと準備中の、プレ”移住女子”です。

土屋さんから、先輩”移住女子”たちのお話とあわせて、
不安や迷いも含めて等身大の、ご自身のこれからのお話を聴きながら、
どこで、どう暮らしていきたいか?、一緒に考えてみました。

前向きに選ぶ「地方という暮らし方」

土屋

「移住女子」というのは、4人の女性からスタートした活動です。移住をしてみて、みなさん自分がやりたいと思っていたライフスタイルをかなえることができるようになったといいます。いま、いろんな生き方が出てきたこの日本という国で、積極的に、前向きに、地方という暮らし方を選んでくれる人たちをもっと増やしたいという思いから活動がはじまりました。

それは、「東京に疲れたから、田舎にいってみよう」といった話ではなくて、もっと積極的に地域を選ぶこと。彼女たちが移住をしたきっかけをいくつかお話ししましょう。

東京で大学生時代を過ごした佐藤可奈子さんは、新潟県十日町市へ移住しました。学生時代に参加した農業ボランティアがきっかけで、受け入れ先だったおじいちゃんの生き方、四季に寄り添いながら畑を守っていく姿に惚れこんで、何度も通っているうちに自分もここに住むことを決心しました。

栗原里奈さんは、東京のIT企業でバリバリ働いて、休日にはファッションとお買い物を楽しむ、おしゃれで都会的な生活を送っていました。ところが5年前に東日本大震災が起こり、近くのスーパーにお米を買いに行ったときのことでした。長蛇の列に並んでいたら目の前でお米が売り切れてしまった。お金をもっていても、食べ物も買えない現実に直面し、生きることに対する弱さを痛感。そして、どんなことがあっても自分自身の力で生きていく、そんな力を身につけたいと移住を決めたそうです。

栗原さんは、移住することをまず決めて、それからどこに行くかを探しました。新潟県長岡市というフィールドがたまたま彼女にとってぴったりだった。決め手はやはりお米です。米どころの新潟で、農家さんたちの農業に対する思いにふれ、人々がかっこいいと感じた。さらにそこで現在の旦那さんと出会って「結婚するから新潟に移住します」と。

可奈子さんや里奈さんは、移住女子の暮らし方を広めていこうとフリーペーパー『ChuClu(チュクル)』をつくりました。それがたまたま農業とか地域を中心に研究されている法政大学の先生の目にとまり、つぎの水沼真由美さんにつながります。真由美さんは大学の授業で配布されたフリーペーパーを読んで「地域に行ってみたい!」と考えました。

当時、大学の3年生で、新潟に仕事があるのかどうかもわかりません。自身は横浜生まれだし、どうしようと思っていたとき、Iターン留学を支援するプログラム「にいがたイナカレッジ」と出会いました。この団体では、1年あるいは半年といった長期型のインターンシップを提供しています。インターンシップときくと学生が参加するイメージですが、こちらのプログラムは学生も社会人も参加できるものです。

真由美さんは大学3年生の1年間を休学し、地域の人の畑仕事などのお手伝いをしながら暮らし方を学ぶこのインターンシッププログラムに参加し新潟に入りました。そして地元のお母さんたちが自分たちの手料理を出す食堂のお手伝いをしながら1年間を過ごしました。この3月にインターンシップ期間が修了したのですが、そこで「わたしはここに帰ってきます」と宣言。当面は大学に戻り、福祉のことを勉強し直しています。

移住女子のルール

土屋

わたしたちにはルールがあります。「できること」と「やりたいこと」「求められること」、この3つを基準に、中山間地の存続に寄与すること、村の人に共感してもらえるようなことの実施を目指しています。
「できること」はまず、村の暮らしをつなぐこと。「よそもの視点」で村の仕事を表現し、発信するメディアを持つこと。
「やりたいこと」は、若い人が活躍する場づくり。地元を出た人に向けての発信や、地元の人じゃできないことや生き残る農業を実践することです。
「求められること」は、地元との密着。販売力や村を変えてくれる可能性、新しい生き方のモデル。そして新しい地域の担い手となることです。

逆に、村の人たちが「そんなことしなくていいよ」ということはしないし、やりたくない。たとえば村の人たちが「観光客が来て欲しい」なんて思っていないのに観光客を呼んじゃうとか、ままあることなのですが、わたしたちはやりません。わたしたち、というか移住女子の先輩がたは、自分の住んでいる地域の人たちが「こういうことをやってほしい」ということをちゃんとヒアリングして、発信しています。

そもそも移住女子をやることによって、どんなメリットがあるのか。いろんな人や企業、行政とコラボしながら移住女子の活動を発信していくと、いろいろお仕事をいただけます。

たとえば移住女子がつくったじゃがいもと、ずっと地元の老舗旅館さんが料理でコラボしたらおもしろいんじゃないかとか、そういうアイデアを受けて活動して、ちょっとだけお金をいただく。月に3万円とか、5万円とか。それが1年間で60万円とかそういう金額になります。東京の人からしたら「え、たったそれだけ?」みたいなお金かもしれませんが、地域って東京に比べるとほんとにお金がかからないんです。60万円もあれば大収入。移住をした1人の女子が、少しずつお金を稼げるようになれば、こんな働き方もあるよという情報を広げていくことができます。そのために、ちゃんと稼げるようになっていくしくみづくりと、そのきっかけづくりをするのがわたしたちの活動です。

移住女子、ビジネスモデルの実際

土屋

具体的には、まず、この移住女子を広げていくための紙媒体をつくろうと、フリーペーパーを発行するためのクラウドファンディングを実施しました。このときはまだ私は関わっていなかったのですが、70日間で32万円集めることができました。これが先ほども紹介したフリーペーパー『ChuClu』です。

農産物の販売もやっています。移住した人全員が農業をする必要はまったくないのですが、自分で食べていく分を自分でつくるですとか、ちょっと多めにつくって売るというだけで収入になっていくので、それをやっている人はたくさんいます。とくに新潟ではこの動きがさかんで、移住女子がつくったというブランドをつけて売っていたりしています。

つづいて、講演活動。どこの地域もほんとうに人が欲しいと思っていて、若い女子は大歓迎です。とはいえ、どうやったら若い女子が来てくれるかわからない。そういう人たちを対象に「わたしたちはこういう取り組みをしながら、移住の啓発をやっていますよ」といった講演会をしたりしています。国が「地方創生」に力を入れているので、そういった講演依頼も増えています。

最後に執筆活動。取材を受けるだけでなく、自分たちで記事を書いて掲載してもらうこともやっています。

そんなことをやっていたら、思った以上に世の関心が高いことを感じるようになり、移住した先輩たちに直接会って、疑問をぶつけるイベントを開いてみたらいいんじゃないか考えるようになりました。そして、2015年12月「全国移住女子サミット」が開催されました。

わたし自身も、このイベントから「移住女子」に関わるようになりました。これから移住を考えている方の代表として、「移住するときのお困りごとって具体的にどんなことですか」とか、「実際お金って稼げるんですか」とか「ご近所づきあいとか正直めんどくさくないですか」とか、わりと赤裸々な疑問をぶつけ、参加者の理解を深める役割をつとめました。

とくに盛り上がった話題は、仕事と収入のことです。「小さな仕事をいっぱいもっています」という答えが一番多かった。たとえば執筆活動で5万円、小さな食堂の事務局で5万円といったふうになにかひとつ小さな仕事をもちつつ、自分の農業をやる。そういうスタイルを楽しんでいるように見えたのが印象的でした。

会場からは「移住のコツは?」という問いかけもありました。みなさんからの答えは、「自分の地域というか、自分が行きたい地域の師匠を見つけること」。そこの地域で出会った人と、まず仲良くなっちゃうということです。その人を師匠にして、なんども訪ねていき、もっともっと親しくなる。そのあげくに「わたしこの地域に住みたい」なんていったら、相手にしてみれば、可愛くないわけがない! その人が「あそこが最近空き屋になったらしいよ」なんて、地域の人たちとのあいだを取り持ってくれるようになるはずです。

「一人で移住するのは不安」という声もたくさんありました。その場合は、先輩移住者がいる地域を選ぶこと。移住者を受け入れたことがない地域では、地元からも戸惑われてしまうでしょう。先輩移住者の方もたいていは仲間が欲しいと思っているので、なにかしら情報発信をしていると思います。そういう情報をフェイスブックなどで見つけて、訪ねてみる。そこから人脈を広げていくのです。

このイベントを通して、移住したいとか地域に関心ある人はたくさんいるけれど、そのための情報とか、背中を押すようななにかが欠けているということがわかりました。

そこで「オンラインサロン」を開設することにしました。移住女子の先輩も地域で頑張っているので、しょっちゅう東京でイベントを開いたり話をしにきたりできるわけではありません。ウェブ上で質問を受け、会話形式でその疑問を解決していくみたいなことをやっていけたらいいと考えたわけです。

モデレーターとして語る実例

土屋

じつは、わたし自身も、これから地域に移住する女子の1人です。

わたしは、熊本県球磨郡五木村で生まれました。最寄りの自動販売機までなんと7km。小学校まで7km、中学校は15kmの距離を通っていました。高校までは40kmあったので、さすがに通うのはあきらめて寮に入りました。ですから15歳で村を出ているんです。そういうわけで、生まれ故郷に戻ろうというわたしは、Uターンだけど「ほとんど移住」という意識をもっています。

五木村の人口は現在1175人。世帯数は516世帯で一人暮らし、二人暮らしのじい、ばあが多いという状況です。森林率96%、人間が住めるところは4%しかありません。あとは木か川か、動物しか住めないところ。私もこの4%の一部で生まれ育ちました。

人口密度を比べてみると、渋谷では1万人いるところに五木村では4人しかいません。熊本県の平均でも人口密度は245人です。

五木村の出身というと、まず話題に出てくる第一位は「五木の子守歌」。貧しい山村の娘たちが幼い頃から奉公に出され、子守歌にのせてつらい境遇を嘆いたといわれます。

第二位は、「川辺川ダム」。これは私が帰ることを決意した理由の一つでもあるのですが、1950年にこのへんに大豪雨が襲いたくさんの人が亡くなり、治水のためのダムが計画されました。1966年に事業がスタートし、住民の多くは沈む土地から沈まない土地に引っ越しました。それを機に村を出ていった人も300人くらいいました。ところが、ある1軒のおじいちゃんを残して全員が出ていったあとに、ダム計画が白紙になってしまったんです。いまも、そこにはなにもない土地が広がっています。

Uターンのきっかけ

土屋

なんでわたしがそんな村にUターンしたいかというと、きっかけがあります。大学生のとき、学生が企業の課題を解決するという長期実践型のインターンシップをはじめようとしている方のところで学生スタッフとして活動していました。活動を始めた動機としては就活の役にでも立てばという気持ちでしかなかったのですが、学生も受け入れてくれる懐の深い、地域に熱い社長さんたちと働いているうちに、そんなふうに自分のできること、したいことをビジネスにしながら社会とか地域に還元するという働き方がすごくかっこいいなと思うようになっていったんです。

ところが、自分は普通に熊本市内で就活しかしていませんでした。あるとき、高校時代の友達と飲んでいたら、隣の席の人がたまたま五木村のことを話していたんです。「あそこは若い人間がいないからダメだ」とか、ダム問題でお金が入ったからダメだとか、役場の人間がどうだからとか、すごい勢いで語っていました。そのおじさんたちが立ち去ったあと、わたしは、一緒に飲んでいた友だちに「今の聞いた?」と怒りをぶつけずにはいられませんでした。なんであのおじさんたちは人のせいとか、お金のせいとか、もののせいにばっかりして自分を省みないんだ、なぜ自分で動かないんだ。そうぶちまけた瞬間、そのときが今でも忘れられないんですが、「……わたしもだ」と思ったんです。

これはもう腹をくくるかくくらないかの問題だと思いはじめて、いろんな人に相談して、将来Uターンしようと決めました。でも、いまはまだ力がない。まずは修行をしようとNPO法人ETICという団体に所属し、各地域の地方創生や、地域活性のお手伝いに携わっています。

村の元気と自信を取り戻す

土屋

五木村のおとなたちは子どもたちに、「五木村は仕事がないから熊本市内とか福岡市内で仕事をしなさい」という。ところが、いざその子どもたちが結婚して子どもをもつようになったら「そろそろ帰ってこーい」っていうんです。大人たちも、ここで自分の子どもたちが幸せに暮らしていくイメージがわかない。それをまかなえるような仕事があることがイメージできない。そういう自信がなくなっているから、そういうことをいってしまうのだと思います。

わたしは小さいころからこの村のおじちゃんたちにヤマメのつかまえかたとか、炭火の起こし方とかを教えてもらいました。炭のつくりかたにとどまらず、炭窯のつくりかたまで教えられました。彼らがなにかを教えると、子どもたちが素直にそれを受け取って「うわぁ、すげえ」って喜んでくれるじゃないですか。たぶんそれが村のおじちゃんたちにとっても、アイデンティティを高めてくれるというか、自分はここでこんな生き方していてよかったなと思える手段だったと思うんですよね。わたしはこのおじちゃんたちに元気を取り戻したいと思っています。

その相手って、べつに子どもじゃなくても、それを受け取ったときに素直に感動してくれる人、村の誇りを感じ取ってくださる方ならいいんです。わたしは、それが、都心部からの移住者みたいな人たちじゃないかと思っています。私の野望としては、そういう人たちをつれてきて村のファンになってもらうこと。最初から移住しろって、そんなハードルの高いこと言えませんよね。私自身は、おじちゃんたちから伝えられた村の知恵とかを受け継いでいきながら暮らしていきたいし、なんだかんだ、この村をつぎの世代までつなげていきたいと思っています。

移住をフォローするさまざまなプログラム

土屋

最後に、移住したいと思っている方や、なんとなく地域に関心があるという方に、私が知っているプログラムやイベントをご紹介しましょう。

まずは、先ほどご紹介したわたしたち「移住女子」のオンラインサロン。パソコンやスマホで気軽に移住の情報を得ることができるのでおすすめです。

つぎに「日本全国!地域仕掛け人市」。われこそはという面白い地域から、いろんなビジネスだとか、人とのコミュニティづくりだとかツアー事業とかの仕掛け人たちが集まって、一緒に働いてみませんかと声をかけるイベントです。1日限定のイベントで、ここに来たからぜったい移住しなくちゃいけないというわけでもないので、そういう意味でも参加しやすいかなと思います。

そしてわたしの所属するETIC.の「ローカルベンチャーラボ・事業構想力養成講座」。地域で活躍する実践者の方々をお招きしていきながら、自分なりの地域での事業プランを練っていく講座形式で、地域で自分なりの仕事を創っていきたい方にお勧めです。

つづいて「地域イノベーター留学」。地域の課題や地域にある企業の課題に対して、半年間くらいかけてフィールドワークやワークショップを重ねながら、それに対する提言をするというプログラムです。地域のリアルを見れるというか、地域にどんな課題があって、どんな働き方をしているかを見るのにいいかなと思います。じっさい、これをきっかけに移住をされた方もいます。

そして「にいがたイナカレッジ」のインターンシップ。社会人の方が休職や転職のタイミングで1年間、新潟県内の地域にかかわりながら、一緒に働いたり、農業のお手伝いをさせてもらったり、じっくり時間をかけて田舎暮らしを経験していくプログラムです。1年間時間をかけられるので、自分が本当に田舎での暮らしに向いているかどうか判断することもできます。

移住するといっても、人によってそれぞれタイミングもあると思います。いま、自分がどういうプログラムとかサポートを求めているかも違ってくるでしょう。それを見つけるためにも、まずは自分で探してみる、飛び込んでみるというのが、一番いいのではないかなと思っております。

今日、先輩がたからぜひ伝えてくれと言われたメッセージをご紹介します。

「田舎はけっしてユートピアではありません。でっかいクモとか、突然振り出す大雨とか土砂崩れとか携帯電話の電波がつながらないなんてことはざらにあります。ぜんぜんユートピアではありません。だから地方移住が正解というわけではありません。もしかしたらみなさんにとっては東京がいいのかもしれません。ただ、自分が求めるライフスタイルがほんとに地域にあるかもしれないというのも、ほんとにある可能性だと思います。まずは受け身になるだけではなくてみなさん自身で探していくことがたいせつなので、それをやってみてください」。

移住女子の先輩がたも、たまたまご縁があってその地域に行ったわけですが、1回も通わずにいきなり移住した人は一人もいません。何回も通って、いろいろ地域をさがしているうちに「ここだ!」という出会いがあります。まずは自分の興味のある地域にいってみるとか、そこに行った人に話を聞いてみるとか。まずは行動することが大切なんだと思います。

講 師

tsuchiya-nozomi
土屋望生

移住女子モデレーター

熊本県球磨郡五木村生まれ。人口1,200人の村で山と川の雄大な自然に囲まれながらのびのびと育つ。小学生のころは、同学年の児童がいなかったため万年家庭教師のように先生を独占したり、授業で炭窯や炭を作ったり。高校入学と同時に村を出て、大学は熊本県立大学へ。在学中は一般社団法人フミダスにて、学生スタッフとしてインターンコーディネート業務に従事。活動中に、熊本を盛り上げようとそれぞれ領域で奮闘する起業家や事業家との出会いに刺激を受け、地元を愛する人々の熱に触れ、将来は五木村にUターンすることを決意。現在は地域に特化したプログラム・機会を創出するNPO法人ETIC.チャレンジコミュニティ事業部にて修行中。