西武西武渋谷店

2017年1月18日(水) Think College Vol.51

地方の課題が私の目標に
「ふるさと」とつながる働き方とは?

講師:武田昌大 (シェアビレッジ村長 / トラ男米プロデューサー)

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世の中の課題に取り組む人のお話を聴いて、一緒に考える講座シリーズ「Think College」。
今回のテーマは「ふるさと」です。
あなたのふるさとは、どこですか?
その町は、いまでも活気にあふれていますか?
お年寄りばかり残された、元気のない町になっていないでしょうか。
「ふるさとのために、なにができるだろう」
漠然と感じていたことを課題ととらえなおし、行動に移した人がいます。
「地方の課題」を「自分事」へ変えていくためのヒントを聞きながら、
いま、その町に暮らしている人も、遠く離れてしまった人も、
ふるさとのために、自分ができることを考えてみませんか?

日本一の「課題先進県」

武田

あなたのふるさとについて、質問します。まず、関東出身の方はお座りください。実家がコンビニから徒歩圏内にある方も座ってください。最寄りの駅の改札に駅員がいる方も……。おお、いい感じに減ってきましたよ。その駅で1時間に2本以上電車が来る方は着席してください。はい、今日はお二人が残りました。最後に残ったあなた方は田舎ものだ。これから、お二人に出身地と田舎自慢をやっていただきましょう。

参加者A

出身は岡山県美作(みまさか)市。山しかないところで、だけど自然がいっぱいあって温泉も出ます。

参加者B

新潟県の最北端の村上市です。海がきれいで、笹川流れという景勝地があり、お米をはじめ食べものはすべて美味しいです。

武田

ありがとうございます。これで、今日、どんな人たちが来ているかがわかりました。
冒頭の質問ですが、最後まで残っているのがもう一人います。それはぼくです。

地図で見ると、渋谷から北に600kmいったところがぼくの地元、秋田県。冬は雪がたくさん降って、最高気温がマイナス5℃という、すごく寒いところです。

「行ったことない県ランキング」で、われらが秋田県は宮崎県、青森県を抑えて堂々の第1位。「行ったことがない」うえに「イケてない県」ともいわれ、2016年末時点でフェイスブックのユーザー数が日本一少ないのが秋田県なら、ゲームや楽器の購入額が最少なのも、それからカメラの購入額ワースト3位とCD購入額ワースト4位にランクインしているのも秋田県です。

では、秋田県人はみんないったい何をやっているのか。大丈夫です。日本酒の消費量が日本で2位、そして睡眠時間が1位ということで、酔っ払って寝ているのがだいたい秋田県人なのです。

ここからは真面目な話です。秋田県は、少子高齢化率が日本でいちばん高く、人口減少率も日本一。全人口はおよそ100万人ですが、1年に1万人以上が減っているので、100年以内に人口がゼロになるかもしれないといわれています。日本一の「課題先進県」なのです。

そんな地元・秋田県を元気にしたいと思い立ち、いまから5年前の26歳のときにぼくは会社を立ち上げました。秋田と東京の両方に住み、行ったり来たりしながら仕事をしています。
仕事は、大きく分けるとふたつ。

まずひとつめが「トラ男」という、2010年からやっているお米の販売事業です。
秋田県はお米の主要産地で食料自給率は日本で1位、お米の生産量も3位。そんななかでぼくは、よい田んぼをもっている専業農家の若き三代目たち3人と「トラ男」という名のチームを組みました。「トラクターに乗る男前の農家集団」略してトラ男、です。

メンバーは、燃える愛妻家TAKUMI 29歳、金色の山男YUTAKA 30歳、水田の貴公子TAKAO 31歳。ぼくらがはじめた農業活性は、簡単にいうと「混ぜられていないお米」を販売することです。それぞれのお米を「TAKUMI米」「YUTAKA米」「TAKAO米」とブランディングし、自分たちで立ち上げたサイトでインターネット通販をやっています。

じっさいにお米を食べてもらう場もつくろうと、薪をくべながらかまどでお米を炊いたり、現地で田植えや稲刈りといった農業体験をしたり、イベントも毎月行っています。都内でもカフェやイベントスペースを借りて、きりたんぽをつくるワークショップを開催するなど、たくさんのお客さんにお米を知ってもらおうと活動中です。無印良品や東京ガス、イオンや高島屋など企業のコラボを展開するかたわら、マレーシア、タイ、ニューヨークなど海外での販売も進めています。

2010年の活動開始以来、NHK「クローズアップ現代」や、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」など、これまで100社以上のメディアに出演することができました。全国にお客さんが増え、売り上げも50~60倍に増えました。ちなみに今年は東京におむすび屋をつくっていこうと思っています。

「さあ、あなたも年貢の納め時です」

武田

もうひとつの事業は、2015年にスタートした「シェアビレッジ」です。全国の地方に眠る古民家を再生させて、多くの人たちで支えながら、ネットワーク型の新しい村をつくっていこうというプロジェクトです。

たとえば、秋田県にある築134年の古民家を見てください。中がとても広くて、囲炉裏があり、土間があり、古きよき日本の暮らしが残る、とてもきれいなところです。ところが、こうした古民家が全国でどんどん解体されようとしています。

それにはふたつの理由があります。まず、単純に維持費がかかること。茅葺き屋根は、全部修復しようとすると1000万円くらいのお金がかかってしまいます。そして、もうひとつは、古民家に人が住まなくなってしまったこと。住まなければ家はどんどん傷んでしまいます。

では、どうすれば家を守っていけるか。いままでは、家の持ち主ひとりで抱えていた維持費を、多くの人たちで少しずつ出しあって支えていこう、というのが基本的な考え方です。

支える人が増えれば、全国各地に眠っている古民家を、多くの人たちで守ることができる。そうして日本全国の古民家をつないでひとつの村にし、支えている人たちを村民と呼ぼう。そしてみんなで村を共有しよう。これが「シェアビレッジ」というプロジェクトです。

「年貢」と呼ばれる会費を支払うと村民証が発行されます。そして「寄合」というイベントに参加したり、実際に現地にいって宿泊したり、田舎暮らし体験ができるという仕組みです。現在、秋田県と香川県にふたつのシェアビレッジがあります。村民になるとどちらの村も利用でき、年貢を納めていれば、今後広がってくるすべての村を、第二のふるさととしてもつことができます。

今年の目標は、西日本に第三、第四の村をつくり、村のネットワークを広げていくことです。

大嫌いだった故郷を飛び出して

武田

じつはぼくには、2016年からもうひとつ、「地域活性化伝道師」という肩書きが増えました。全国で360人が地域活性化やまちづくりのプロとして内閣府から認定されるもので、各地でまちづくりの話などをさせていただいています。

市としては全国で18番目に大きい1152.76㎢という面積に、わずか3万3000人が暮らしている秋田県北秋田市。それがぼくの出身地です。最初は自分のふるさとのことが好きではありませんでした。なぜかというと、地元にはゲームセンターとか、ボーリング場、映画館など、遊ぶところがなにもないのです。
子ども時代から新しいものや面白いものがとにかく好きだったぼくは、将来はゲーム会社で働きたいという夢をもっていました。だから、なんにもない田舎での暮らしにとにかく飽き飽きしていました。

高校を卒業した18歳の春に飛び出して、立命館大学に進学します。最初は「やった!京都だ!」と喜んだのですが、ぼくが第1期生として入った情報理工学部は、京都府の隣の滋賀県にできたばかりの新キャンパスにあったため、結局は琵琶湖のほとりのプチ田舎へ引っ越すことになります。

とはいえ、そこでぼくは情報分野の研究やCGのデザインなど、さまざまな最新技術を学ぶことができました。勉強をがんばるかたわら、アルバイトも3つかけもちして車を買い、ドライブ三昧、サークルも立ちあげたり、ヒッチハイクで北海道まで行ってみたり、オフのほうもさまざまに楽しませてもらった4年間でした。

卒業後、2008年にやっと東京へやってきます。昼はゲーム会社、夜は専門職大学院に通いながらデジタルコンテンツ分野に携わっていたわけですが、24歳のこのときまで、秋田について考えることはまったくありませんでした。

ところが、ここからの1年でぼくは地域に大きく関わっていくようになります。東京で働いていたころ、高速バスに乗って秋田県に帰省したことがありました。昼夜を問わず人がいっぱいいるところから一転、地元へ戻ってみるとまったく人がいない。日曜の昼間の町には車が走っていないどころか、人もまったく歩いていません。商店街のシャッターは閉まり、まるでゴーストタウンです。

そのときにはじめて、自分が生まれ育った町がなくなってしまうのではないか、と危機を感じました。100%嫌いだった秋田に対して、ちょっとだけ故郷愛が芽生えた瞬間でした。

「あ、なんか秋田、いいかもしれない」

武田

秋田を元気にするようなことを、少しずつでいいから、なにかやれないか。ぼくは、そう考えるようになりました。しかし、地元のことを何も知りません。いいところもぜんぜん知らない。だから、なにからはじめていいのかもまったくわかりませんでした。

とりあえず「秋田」「東京」「イベント」と検索したところ、ヒットしたのが「秋田のイベントを新宿でやっています」という記事でした。

新宿で秋田イベント?と思いながら見にいったのが、歌舞伎町のイベントスペース。200〜300人の人たちが、秋田の酒や食べものを食べながら、イベントを楽しんでいる。しかも、それを主催する団体の年齢層が、とても若かったのです。

秋田出身の若者たちが主宰する団体がイベントを成功させている姿に、ぼくはかなり衝撃を受けました。

それで何をしたかというと、「入れてください」とその団体に入ります。週末に地産品を販売するマルシェなどの活動を手伝いながら、ちょっとずつ秋田のことを知り、秋田県人の友だちも増え「あ、なんか秋田、いいかもしれない」と思いはじめたのがこの時期でした。そして、自分だったら何ができるんだろう、ということを考えはじめました。

秋田県の名物といえば、きりたんぽになまはげ、日本酒、かまくら、県魚のハタハタに日本三大美人の秋田美人、日本三大うどんの稲庭うどん、比内地鶏も日本三大地鶏に数えられています。日本一深い湖の田沢湖があるのも、渋谷のハチ公が生まれたのも秋田県ですし、温泉もたくさんあります。

なかでもお米。秋田県は「あきたこまち」でも知られる米どころです。ところがその農業が壊滅寸前。高齢化が日本一進んでいる秋田県では、農家の約60%が65歳以上です。せっかく広い農地をもち、あきたこまちという美味しい品種もあるのに、あと10年か20年もすればつくる人がいなくなってしまうかもしれません。

体感が生むモチベーション

武田

ぼくは、農業を盛り上げていけば、秋田県を元気にできるのではないかと考えました。ところがぼくの実家は農家ではなく、24年間、土に触れたこともありません。正直、お米が何月にとれるのかさえ知らない、かなりのど素人だったのです。

ふつうはここで諦めるところですが、ぼくは負けず嫌いなもので、農家に会いに行くことからはじめました。月曜から金曜までは東京で働いて、土日で秋田に帰るというハードな生活のスタートです。車に飛び乗って秋田に向かい、その辺の田んぼで働いている農家さんを見つけたら「すみません、東京から来たんですけど農業を教えてください」と、アポなしで、どんどん声をかけていきました。

最初は「一反歩(いったんぶ)ってどのくらいの広さですか?」といった初歩的な質問からでしたが、農家さんの話を聞いていくうちに、どんどん面白くなっていきました。県内あらゆるところへ出かけて行き、最終的には土日の帰省で3か月の間に100人くらいの農家を回ることができました。

そのヒアリングの結果、農業の課題とは、高齢化ではなく、もっと別のところにあることに気がついたのです。それはたとえば、農業が稼げてない点。2010年当時、取引されている米価は過去最低価格まで値下がりをしていて農家の収入も年々下がり続けていました。これでは若い人はやりません。なぜこんなに少ないのか。流通に課題があるのです。

ぼくが出会った100人の農家は、それぞれにこだわりをもって、一生懸命お米をつくっていました。ところがJAに販売した瞬間に、もうそれは自分の手から離れてしまいます。一生懸命こだわろうが手を抜いてつくろうが、どんなお米でも買い取り価格は同じ。多くの農家のお米がブレンドされて、ひとつの「あきたこまち」としてパッケージングされスーパーに並びます。

そういった流通ではなく、直接お客さんに届ける仕組みにして、適正な価格を設定しようとぼくは考えました。お客さんからの「美味しかった、ありがとう」という声も直接農家に届くような、シンプルな流れをつくっていきたいと思ったのです。

ここで、地域的・社会的な課題から「自分事」へともっていくプロセスについて、ちょっと考えてみると、実際にぼくがやった過程は「仮定・発信・発見・体感」といったことでした。

秋田県は高齢化日本一、人口減少日本一といった情報は、今の時代、ネットで見ればすぐに得られます。でも、それでは自分事にはなりません。自分で実際に地元に帰って、シャッター街を見て「うわ、本当にやばいな」と感じ、農家を回ってみて「農業の状況は本当にまずいな」と感じること。こうした体感や発見をしていくことが、自分事にするためのとても大事なポイントではないかと思うのです。

ぼくは人生のモットーとして3つ掲げているものがあります。それは「学ぶ」「楽しむ」「喜ばせる」。学ぶことと楽しむことは、自分一人で完結できるわけですが、喜ばせるためには相手が必要です。だから、ぼくは絶対人に会う。この人を喜ばせたい、お客さんを喜ばせたい、農家を喜ばせたい、そういったところがぼくのやり甲斐にもつながっている。だから、実際に動いて、人と出会うこともかなり大事なポイントになっています。

参加者からの質問

Q1

今後、活動の拠点を移す可能性はありますか?

武田

いま、ぼくは北秋田市にオフィスを構えながら、東京にも戻ってきて仕事をしています。これからは、秋田の比重を大きくするつもりです。起業したときから、25〜30歳のあいだは東京にいて、ネットワークづくりをして仕事ができる基盤を築こうと考えていました。30代から40代にかけては地元に帰って、しっかり地元のまちづくりをやっていく。家族ができたときに、子育てなどをしていくのはやはり田舎がいいなという思いもあります。いまや100%好きになった秋田ですから、今後は地元に帰ってちゃんと地元のことがやりたいですね。

Q2

収入的には、会社員のときより上がりましたか、下がりましたか。

武田

やはり農業はそんなに儲かるものではないので、最初の3年は本当に苦労しました。いまは販路も拡大し、お米のほうでやっとトントンで暮らしているところです。ようやく新しい事業のことも考えられるようになってはきましたが、まだまだちょっと。会社員時代の収入と比較すると微妙ですが、でも食べていけてはいます。お金がすべてのやり甲斐ではないと気がついたということも大きいのですが、田舎は生活コストがすごく低いので、収入が少なくてもなんとか暮らせます。とはいえ今後は、さらなるブレイクの期待できる要素がたくさんあるので、十分儲かる仕組みがつくれると思っています。

Q3

会社を辞めようと思ったとき、惜しくなかったですか?

武田

当時、25歳のぼくは、失敗してもまた戻ってくることができると甘く考えていました。それに「トラ男」はぼくが会社を辞める前から、仕事をやりながらはじめたプロジェクトだったんです。
じつは、そのときに農家から「ぼくたちは一生農家なんです、ここで武田さんに辞められたらぼくたちは困るんです」といわれ、ああそうだなあ、ぼくも片手間でやっているのではなくて、ちゃんと農家たちと向き合っていくことが大事なんだと気づかされました。やはり人との関わりのなかで決意が生まれたということですね。

Q4

地元に住んでいる人と、当時東京にいた武田さんとで、思いや物理的な距離によるすれ違いはなかったのでしょうか。

武田

今でもたくさんありますね。そもそも2010年ころは、フェイスブックはほぼ活用されていないし、Twitterがようやく認知されはじめたばかりだったと思います。スマホは秋田ではみんなもっていなかったし、そもそも農家の人がパソコンとかメールを信用していなかった。だから、今みたいにLINEやメッセンジャーで簡単に済ませるわけにもいかず、コミュニケーションを取るのがすごく大変でした。そんななかでは、直接会いに行って話すというリアルをいちばん大事にして、何回も何回も通うしかありませんでした。

Q5

自分の課題をビジネスにつなげるとすると、一人でやったほうがいいのか、チームでやったほうがいいのか? どうでしょうか。

武田

ぼくがいつも地域課題を解決していく手法に「3K・M2(Mの二乗)」があります。3Kすなわち「価値・課題・解決」という部分は一人でできる。つまり、課題を見つけるとか、価値を見つけて、こうやったら解決できるのではないかという構想は一人の仕事です。でも、そのあとの、ひとつのアイデアをプロジェクトとして起こしていく、もしくはビジネスに発展させていく過程では、「M2(Mの二乗)」、つまり「メンバー×マネー」が重要です。そこでは一緒にやれる仲間を探します。

「トラ男」の3人のメンバーもそうですし、シェアビレッジの場合も、1人ではとても1800人の村民を支えることもできませんし、現地にいる5、6人くらいのメンバーと一緒に運営をしています。

Q6

やり甲斐を感じるのはどんなところですか?

武田

いっぱいあります。たとえばトラ男の仕事では、単純な話ですけれど毎日日々注文が来るだけで喜びを感じますし、「これまでうちで食べていたお米より美味しい」などといわれるだけで、やっていてよかったと思います。

古民家では、オーナーさんがとにかく喜んでくれています。これまではオーナーさんたちも辛い思いをしながら、家をつぶす選択をしなければならなかったんですね。ところが、ぼくたちがシェアビレッジをやりはじめたことで、家はとにかく存続される。たまに訪れてくれて、自分のお気に入りの場所でお茶を飲みながら「やあ、武田くんたちがいてくれてよかったよ」なんて話してくれると、すごくやり甲斐を感じます。
それに、集落のお年寄りたちが3000円を入れて「年貢」と書いた封筒を握りしめてやってくるんですよね。地元からそういう思いを引き出せたことに、やり甲斐を感じているところです。

もっともっとたくさんあるのですけれど、なにより日々お客さんと近いところにいられるというのが大きなポイントですね。直接声を聞ける機会が多いので、それがモチベーションにもつながっています。

講 師

masahiro-takeda
武田昌大

シェアビレッジ村長 / トラ男米プロデューサー

1985年秋田県生まれ。 2008年立命館大学情報理工学部卒業、東京にてデジタルコンテンツ業界に従事。 2011年株式会社kedama設立。2016年内閣府が運営する地域活性化伝道師に選ばれる。 秋田の農業の未来に危機感を持ち、若手米農家集団トラ男(トラクターに乗る男前たちの略称)を結成。お米のネット販売サイトtorao.jptoraofamily.comを運営している。 2015年春クラウドファンディングで約600万円の資金を調達し、築134年の茅葺き古民家を活用した新ビジネス 「シェアビレッジ」を立ち上げる。NHKクローズアップ現代や日本経済新聞など多数メディアに出演。 全国で講演活動をし地域活性化に取り組んでいる。

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