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2017年8月3日(木) Think College Vol.54

見聞きして、緩やかに広げるものづくり
〜光の当てかたを変える〜

講師:須藤修 (デザイナー)

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世の中の課題に取り組む人のお話を聴いて、一緒に考える講座シリーズ「Think College」。
今回のテーマは「ものを生かすものづくり」です。
たくさんの古くてよいものが残されているふるさとで、
ものづくりを通し、その価値や意味を見直そうとしている人がいます。
デザインや工芸、地域の文化や自然環境まで全部をたどって輪にしてみれば、
ものづくりを支えているのは、結局、人とのつながりづくりでした。

リペア、デザイン、人との対話

須藤

山形県から来ました須藤修と申します。生まれは米沢市に近い県南のほうにある南陽市です。個人事務所のようなかたちで、いろいろなデザインの仕事をやっています。

私の仕事は、さかのぼると「家具の修復」です。東北芸術工科大学という大学がありまして、ここは東北で唯一の四年生美術大学です。ずっと東京でデザインを学びたいと思っていたのに、いざ卒業という時期になって、新聞に折り込まれていた中古車のチラシに目が留まってしまった。なんの気なしに眺めていたら、最後のほうに「軽トラック5万円」と書いてある。これならバイトをすれば買えるな、と思ってしまったんです。ボロボロの車を買って、それでこの土地を走り回りながらデザインを学ぶのも面白そうだな、と。それで、わりと必死にがんばって受かった大学へは行かずに、周りの人間すべてに止められながら山形に残り、地元でデザインを学ぶという道を選びました。

この大学で、私が取り組んだ卒業制作が、いまの私の仕事のルーツになっています。
卒業制作につけた「RE」というタイトルはRepair(修復)、redesign(デザイン)、response(人との対話)という3つの言葉の頭文字からきています。

山形には蔵がたくさん残っています。そして、蔵の中には古いけれどいいものがいっぱいしまってあります。でも今は目の前で蔵がどんどん壊され、蔵と一緒に中のものも失われていくような状況です。そういう古いものを少しずつ集めていって、どうしたら生かせるかを考え、最初は小さなものから修理して、少しずつ自分で技術を身につけながら直してきました。

例えばお婆ちゃんの家にありそうな昔の古い引きだしなら、塗装をし直して金物の一部を修繕します。学生時代の夏休みの2か月間をかけ、家具の工房に入って椅子の修行もしました。再塗装を施し、中学以来の縫製に四苦八苦しながら、布張りの張り替えもしました。

昔ながらの和家具もたくさんあります。文机(ふづくえ)など、天板をそっくり張り替えて直すこともやっています。長い反物(たんもの)を広げて使っていた裁縫台などは、脚があまりにも太すぎたので、現代の家に合うような脚につくり替えました。蔵から出てきた棚板はテーブルにしました。百何年か前の古材で、油で仕上げたので非常にきれいな色に仕上がっています。

一個一個のものにビフォアがある、それらのいいところや壊れているところを一つひとつ見直して、直していくことで、きれいになっていきます。小物から椅子、テーブルというふうにきれいにしていって、それで空間がつくれないかというのが私の卒業制作でした。

大学では卒業制作展示会があって、何千人という来場者が来てくれます。いろいろな学科、建築や工芸などのなかで、僕だけが唯一人、作品全部に値段をつけて売りました。ただし、展示品がなくなると困るので即売会ではなく、「何月何日に予約販売させていただきます。この値段で売ります」と書いておくんです。毎日展示のそばに立って、どう直したか、どう見つけたか、脚がこうなっていたとか、この生地にはどんな素材を切って張ったか、全部伝えていきました。

卒業後はできればそれを生かしていこうと考えていたので、学生の作品だから面白いね、で終わりたくなかった。誰かがお金を出してでも欲しいと思うもの、それがつくれることを何とか証明したかったんです。そして、どうにか全部売り切って、卒業しました。

「STOCKS」自分で起業する道を選ぶ

須藤

卒業制作が全部売れたとき、それまで平行してやっていた就職活動は全部やめました。卒業した勢いのまま、全部自分でやってしまおうと考えたんです。もちろん、そんなに甘くはありません。ひとりで毎月決まった給料もなしでやるというのは、すごく大変なことなのですが、このときの自分はそれをあまり知らない状態でした。

自分で集めて直して売るという活動を「STOCKS Repair & used」という名前でスタートしました。ほんとうに何もつながりがなくて、べつに資本金があるわけでもなく、むしろ毎月の家賃に四苦八苦している状態でしたが、何か場所がないかとか、ひたすら周りの人に声をいろいろかけながら、2013年に一回目の販売会を行いました。

そのころは自分で集めた家具をまず自分で使ってみながら販売していたので、自分の部屋を撮影した写真でダイレクトメールをつくりました。
そして、展示会の会場は、友だちの家のお爺ちゃんのお蔵を借りました。

山形になぜ蔵がたくさん残っているのかというと、農家や木工の加工屋が多かったというのもありますが「とにかく取っておく」文化があったのが大きいと思います。物もちがいいといいますけれど、ぼくらの二つ上の世代くらいからは、ただのほったらかしです。一緒に掃除して、片づけて、足を踏み入れた瞬間にフワっと埃が舞うくらい年季の入った蔵を、掃除から全部して……。まあ、場所づくりも修復みたいなものでした。

古いものを集めていると小さいものとの出会いもたくさんあります。南部鉄器の鍋や、天童木工の家具、木組みの椅子など、遠くへの流通がない時代のものにはすごくその土地柄が出て、面白いんです。二階で修復した椅子を展示し、一階では、家具だけではなく、そういう小物も一緒にきれいにして並べ、そこに私が北欧を旅したときなどに蚤の市で見つけたものなども交ぜて展示販売しました。

二回目の展示会の会場は、農機具小屋。これもまたけっこうひどくて、寒かったり暑かったり、まず床に土がこびりついているのでドロドロで、高圧洗浄機で飛ばしたり、壁を抜いたり、ここもどうにか直してかたちにしました。

以前、アメリカのポートランドを旅したとき、とても美味しいドーナツやさんがあって、家具を見てもらいながら、そんなドーナツを出したいなと思っていました。そこで今度は一階にカウンターをしつらえ、カフェを経営している先輩と一緒にイベント限定でドーナツとコーヒーを出しながら、家具の展示をしました。1年後、その夫婦は「ドーナツ小屋maaru」というのを起業して、今はこの場所でドーナツ屋さんをやっています。

こんなことをやって三年。自分で集めて直して売るというのを定期的にやっています。そして、これとは別に、お客さんから預かったものを直して納品する「オーダーリペア」もはじめています。

私がオーダーを受けるときに聞くことは二つだけです。どのような経緯でその家具がそこにあるのか、そしてお客さんがこれからその家具をどう使いたいか。直すのか直さないのか、直すならどんな形か、最終的には下駄はこちらに預けてもらうのですが、どんなことをするにしても、お客さんに納得してもらうまで話します。この仕事はけっこうプライベートなところをお預かりするので、けっきょく毎回仕事が終わると遠い親せきみたいな感じになるんです。時間がかかっても、それくらいの関係になるまで、ひたすら話し合いです。これはビジネスの効率としてはよくないかもしれないけれど、そこまで話すのが私のスタイルです。

YAMAMORI PROJECTを立ち上げる

須藤

家具に関わっていると、必ず木材を扱います。あるとき「天板に山形のクリ材を使ってほしい」という話がありました。うちには県産材のクリを置いていなかったので、県で一番大きな市場に行きましたがそこにもありません。県のデータベースでクリ材の生産量をみると、すごい数字がある。では、クリ材はどこへ行ってるのか。気になった私は木こりの方を一人ひとりたずねて、製材業、木工加工業まで全部たどっていったんです。

現場の人はすごく忙しいので、15分だけ話を聞きたいというふうにお伝えすると、「しょうがねえな」みたいな感じで話を受けてくれます。ところが、いざ行ってみるとけっこう森のことを話してくれて、気づいたら1時間くらい経っている。まるでお爺ちゃんから話を聞くようで楽しくて、その内容にもぼくは凄く感動してしまいました。山形だと山と街は15分くらいの距離しかないのですけれど、その感動をぜひ街の人に伝えたいと思って知人の建築家と一緒にツアーを企画しました。それが「YAMAMORI PROJECT」というプロジェクトの一環、「YAMAMORI TRAVEL」です。

山形と新潟との県境にある小国(おぐに)町に、日本一のブナの原生林があります。ブナの原生林は水がとてもきれいなところにしか増えていきません。ブナは樹皮が白っぽく、葉っぱもとても薄くて光が透けるので、ブナの森は比較的に明るい、そういう特徴があります。まず、ブナの森の中で鉄砲を撃ってクマを猟で仕留めているマタギの方に山の話を聞いて、そのあと山を歩いていきます。歩きながら見つけたものをどんどん教えてもらうんです。そして、お昼をはさんで午後は木工体験。これも小国のブナを使って、小国に元来ずっと残っていた木工ろくろの技術を使ってのものづくりを体験します。

このように、土地の話を聞いて森の話を聞いて体験するという流れをテンプレートにしてはいますが、市町村ごとに様子がまったくちがうので、その土地ごとに毎回リサーチに入って、その土地の様子をなるべく詰め込んだ構成にします。そのあとは地元の温泉に入って、美味しいお酒を飲んで寝る。じつは、けっこうこの最後の部分が人気のポイントにもなっている気がします。

さらに、木工を通して、森林資源の循環や森の現状、木のよさみたいなものを伝えていくための製品づくり「YAMAMORI GOODS」も展開しています。つくって売るだけではなくて、モニターを募集し、自分で塗装して使っているようすをレポートしてもらいながら次に生かすことをやったりしています。あとは、たとえばつる細工の職人さんなど、森のものづくりについても、ホームページのメディアなどで発信しています。

YAMA NO KATACHI、伝統工芸を生かす

須藤

山形には、伝統工芸が非常に多いのですが、こちらも今なかなか難しい状況で、デザインの力でどうにか生かせないかと知人のデザイナーとはじめたのが、「山の形」というプロジェクトです。ロゴマークもパソコンでつくらずに、むかしの活版を集めて、その活版で押した文字を組み合わせたものです

具体的には、いろいろなつくり手さんを訪ねて、一緒にものをつくって、発信していきます。
その一例が、「月山段通(がっさんだんつう)」です。月山という山のちかくに西川町というところがあります。そこでハンドミシンといって、糸がどんどん出るミシンを使い、手でひたすら一列一列ずつ織り重ねていって絨毯をつくっているメーカーさんの製品をプロデュースする。

民芸品の「お鷹ぽっぽ」もあります。粘りの強いコシアブラという木材に、切り込みを入れて鳥の尻尾や羽根を形づくる一刀彫りです。元来、鮮やかな色で絵付けをするものなのですが、わたしたちはコシアブラのきれいな表面を見せたいのと、刃の跡を伝えるためにあえて白木で出しています。

また、山形はベニバナの産地なので、焼き物に利用できないかを考えました。そこで、ベニバナからつくった灰汁を釉薬に混ぜてみました。試してみるとけっこう色のバリエーションが毎回変わって、緑っぽいものから焦げ茶のものまでいろいろな表情が出る器になりました。

日本三大刺し子の一つ、庄内刺し子のお守りもあります。もともとは修繕や補強をして服や布地を大切に使うための刺し子ですが、背守りといって、魔物よけのお守りとしてお母さんが子どもの服の背中に模様を指すこともありました。そんなふうに、相手を思う気持をプレゼントするお守りです。山形の山の神様がカモシカなので、中にはカモシカの札が入っています。

山形市はもともと城下町だったので、市内にはまだ当時の刀鍛冶の技術を持つ職人さんが残っています。そういう刀鍛冶の職人さんがつくった普段使いの包丁もあります。

こういうラインアップでやっているのが、「山の形」というブランドです。地域性が強いプロジェクトなので、どちらかというと商品そのものより、山形のことをどんどん発信するというイメージで展開しています。去年オランダに展示に行ったさいには、どのプロダクトを説明するときにも、結局は最上川を出したり、ベニバナだったり、打刃物の職人だったり、山形の土地のことを話すことにつながりました。

参加者からの質問

質問1

「YAMAMORI PROJECT」というのは、発案から、実際に山に行って話を聞くところまで、全部須藤さんがデザインされたんでしょうか。それとも須藤さんがアイデアを出して、周囲のみなさんの力を借りながらやったんでしょうか。

須藤

「YAMAMORI PROJECT」に関してはデザインと企画と運営はすべて私と、もうひとり共同代表の井上貴詞とういう建築家とふたりでやっています。あとは、私たちが現地のキーマンと呼んでいる、木工所やマタギの方など、その土地土地のさまざまな面白い要素とのつながりをつけてくれる人たちが重要です。

質問2

人とのつながりをつくるのがすごく難しそうだなと思いながら聞いていました。そのへんは苦労をされましたか。

須藤

苦しくはないですけれど、知らない人のうちにピンポン押して入れるか、というところが難しいかどうか、人によると思います。面白い人間がいるぞという情報を手にしたら、普段人前で話したこともないような人をいきなり訪ねていって「こういうツアーをやってほしいんです」と頼むわけですから。その方たちにとってみれば、急に訪ねてきて名刺をいきなり渡されて、「山、いいですよね」みたいな話をされるのです。ときにはヘンな人に思われたりもするので、そういうのが最初は恥ずかしかったですね。けれども、一回やってしまって、それで得る楽しみを知ってしまったら、逆にもうやめられないですね。

質問3

仕事でグラフィックデザイナーをしています。私もゆくゆくは地方の農業や、オーガニックなことなどを紹介して、地方の活性化みたいなことをやっていきたいと思っています。地方の人たちとのつながりをつくるところをもうちょっと突っ込んでおうかがいしたいです。たとえば講師の方をお招きしたときって、ギャランティーはお支払いされるのですか。

須藤

お支払いしています。一日1万円とか、準備もあったら二日分で2万円とか、本当に日当みたいなものですが。ただ、やってみたくてうずうずしている人のほうがけっこう多いのです。何かしたいのだけれどやり方がわからないとか、現地のことは詳しいし、人も把握しているけれど何をしたらいいのかわからないというところに、力を貸して欲しいとお願いすると、逆に燃えてくれて、もう地域のパワーをすごく出してやってくれるんです。そういうときはお金は関係なくお互い、もう楽しいからやるという感じになることもあります。

質問4

自分もフリーランスでやってみたいけれど、怖い気持ちもあります。フリーランスでやっていこうと決めたときにちょっと不安になったというお話でしたが、それを乗り越えたものはなんですか。

須藤

何をしたらうまくいくとか、正解はないと思うのですが、私の場合は、とにかく「こういう状況で起業する」というのを、友だちや、それまでに集めた手元の名刺を全部見返しながら、全部連絡して、とにかく電話をかけまくりました。とにかく、何かやりたいのなら、まずはそれをいろいろな人に話してみたら何か起きるんじゃないかと思います。

須藤

ジャンルは多岐にわたってしまいましたが、結局、私が何をしようとしているのかをまとめると、「もともとのもの」を生かす環境をつくること。デザインは、それを介して職人さんとも関われる、森林とも、食べものでも農業でも、地域を越えて、分野を超えて繋がれるコミュニケーションの手段だと思っています。ぼくはこれからもこの活動を続けながら、山形を外に発信し、山形に来てもらえるように、いろいろなことをやりながらデザインというものを知っていきたいなと思っています。
今日はありがとうございました。

講 師

osamu-suto
須藤 修

デザイナー

1987年山形県南陽市に生まれ。東北芸術工科大学在学中から家具修復の仕事をはじめる。卒業後は森林と人との新しい関わり方を考える「YAMAMORI PROJECT」や、山形の新しい道具をつくる「山の形」の共同代表、など山形を軸に領域を横断してデザイン活動やクライアントワークを行う。現在はデザイン業と平行しながら実家の温泉宿「山形 座 瀧波」にプチUターンし、ブランディングディレクターとして宿のブランド構築に奮闘中。