西武西武渋谷店

2017年11月22日(水) Think College Vol.55

情報発信でつながる縁
〜若い女性が活躍するためのフィールドのつくり方〜

講師:浅野有希(『ふたりごと文庫』編集長)・嶋田希望(塗師)

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世の中の課題に取り組む人のお話を聴いて、一緒に考える講座シリーズ「Think College」。
今回のテーマは「地域からの情報発信」です。
オンラインメディアを通して、日本全国で活躍する若者の姿を伝える大学生と、
東京から地方の地場産業に飛び込んで、伝統から新しい展開を生み出そうとしている職人さん。
「何かをやりたい」という思いを形にしていくには、どうしたらいいの?
自分の力で活躍の場を広げている若い女性二人のお話とトークに、そのヒントがかくされていそうです。

オンラインメディアで若者をつなげる

浅野

みなさんこんにちは、浅野有希です。ここ渋谷から東横線で一本、自由が丘にある産業能率大学に通っています。マーケティングを専攻していて日々勉強中です。
将来は地域活性化に携わる仕事につきたいと思っています。大学の授業で地域密着型のパン屋さんやスーパー、バス会社などいろいろな事例を学ぶうちに、地域ごとの経営戦略があることに興味をもったのがきっかけでした。

ふだんの学校生活では、中学校からつづけているバトミントンのサークルに入り、友だちとワイワイ騒いでいる普通の大学生です。その私が今年(2017年)の4月、『ふたりごと文庫』の編集長に就任しました。

『ふたりごと文庫』というのは、日本の手仕事を動画で紹介する『ニッポン手仕事図鑑』のなかにあるオンラインメディアで、地域の埋もれた魅力を誰でも掘り起こし発信しています。「ふたりごと」には、「独り言にしておいてはもったいないことを発信しましょう」という意味が込められています。

私が「この人おもしろいな」と思った人に連絡をとり、立ち上げから半年くらい(2017年11月現在)で、これまでに40本ちかくの記事を書いてもらいました。最初のころは、地域おこし協力隊や移住した方などに、地域の日常や、隠れた名産品をテーマに執筆してもらっていたのですが、だんだん自分の思いや将来の夢を発信してくれる若者が増えてきました。

私自身、この活動を通して、日本全国にはいろいろな地域に頑張る若者がいることを知りました。けれども、そんな若者同士がつながっていないのがちょっと惜しいと思っています。だから今後はこの『ふたりごと文庫』が、いろいろな地域で頑張る若者同士が出会い、つながる場として機能していければいいなと思いながら活動しているところです。

「意識が高い」と思われるのが恐い

浅野

もともと私は旅行が大好きなのですけれど、編集長になったことでいろいろ見てみたくなり、ツアーとかインターンに参加するようになりました。

たとえば、秋田県鹿角市に女子大生4人組で企業の視察ツアーに行きました。雪景色が一面に広がっていて、一本の線路がずっとつづくような景色があり、すっかり魅了されてしまいました。でも、地元の人にとっては当たり前な景色なので、そんなことは誰も発信しないんです。もったいないですよね。そんなところから地域活性化への思いがどんどん大きくなっていきました。

2017年の8月には、大学生8人で山形県上山(かみのやま)市のローカルインターンに参加しました。ここはワインの製造が盛んで、ブドウだけではなく洋梨のラ・フランスの珍しいワインもつくられており、「かみのやま産のワインによる乾杯を推進する条例」なんていう面白いものもあります。

9月には岐阜県郡上(ぐじょう)市へ。ここは観光地としてとても有名なのですけれど、そのもっともっともっともっと!山奥の地域を訪ねてきました。どこへ行っても長良川のきれいな水が流れていて、樹齢が1800年ともいわれる大きな杉が神さまとして扱われていたり、自然と生活が密着している印象でした。

どこへ行ってもたくさんの素敵な出会いがありました。
とくに印象的だったのが、郡上市で出会った一人の女の子です。出身は島根県で、年は私の一つ下。すぐに仲良くなって、私の『ふたりごと文庫』での活動のことなどを話すと、目をきらきらとさせて、私も自分の住む街の魅力を発信したいと言ってくれました。

地元に住んでいる人はたいてい「ここは何もないよね」と言うのだそうです。でも、そんな人たちが気がついていない魅力はたくさんある。そんな魅力を掘り起こして、地元の人にもっとこの街を好きになってほしい、と熱い思いを私にぶつけてくれました。

それなのに、彼女はなかなか思いを行動に移すことができないでいました。なぜだと思いますか? もしかしたら今日ここに来ている高校生や大学生の人たちには共感してもらえるかもしれませんが、理由は意外にもシンプルです。学校の友達とか周りの地域の人に「意識が高い」と揶揄されるのが恐いということだったのです。

もっとも、そんな彼女もきっと変われるだろうと信じています。なぜなら1年前の私も同じだったからです。

私が変われた四つの経験

浅野

地域活性化に興味があって地方に行ってみたい、参加してみたいけれど応募ボタンが押せない。ブログで情報発信をしてみたいけれど文章を書く勇気が出ない。地域活性化に携わっている社会人と話してみたいけれどなかなか連絡する勇気がわかない……。
そんな人は多いと思います。一年前は私も一歩勇気を踏み出せない大学生の一人でした。でも、いま私はこうやってこの場に立ってみなさんにお話をしています。

そんな私がなぜここまで変われたのか。それには、私を変えてくれた大きな四つの経験がありました。

まず一つ目が、自分を必要としてもらえた経験。授業の一環として10日間のインターン生として『ニッポン手仕事図鑑』に関わったときのことです。職人さんや、社内外の社会人と会ってお話をする初めての体験をしました。そこから、実際に大人の人と喋ることが私の学びになると気がつきました。

二つ目が、自分の魅力を教えてもらえたという経験。とくに印象的だったのは『TURNS』という雑誌のプロデューサー堀口正裕さんとの出会い。初対面のときに、たった2時間ちょっとくらいのお話だったのですけれど、こんな地域活性化のやり方があるんだ、こんな関わり方があるんだと、私の将来がパァーッと開くような思いをさせてくれた、そんな素敵な方です。

その堀口さんから「浅野さんは人の話を聞く表情がいいよね。どんどん話をしたくなるような力をもっているよ」と言っていただいたのです。社会人からはっきりと誉めてもらうことがなかったので、それがすごく自信になり、もっと人に会いにいこうと積極的になれた気がします。

三つ目は、肩書きを与えてもらえたという経験。インターンの体験をした『ニッポン手仕事図鑑』の編集長である大牧さんから、オンラインメディアの編集長をやらないかと声をかけてもらいました。肩書きをもらえたこと、そして「編集長」と刻まれた名刺をもらったことによって、すごくパワーアップしたような気がしました。

そして四つ目が、一人の大人として対等に接してもらえたという経験です。『ふたりごと文庫』の活動をはじめるにあたって、まず全国の地域おこし協力隊の方をはじめたくさんのおとなにメールで記事の依頼をしました。最初は、こんな学生を相手にしてくれるのか、忙しい社会人にとって迷惑ではないかとすごく不安でした。でも、返ってきた言葉は、「声をかけていただいてありがとうございます」、「すごく素敵な活動をしていますね」と、とても丁寧なものばかり。一人の大人として真剣に向き合ってくれていることがわかりました。

ひとつ印象に残っているエピソードがあります。あるブロガーさんに依頼をした後にこんなツイートをしていることを知りました。「最近、とても対照的な形で二つの依頼がきた。一つは4、50歳くらいの男性から。一つは東京の学生の女の子だった」。これが私のことです。

「男性は会社としての制作物をつくるからその写真を送ってくれという依頼。女の子は記事のライティングのお願いだった。男の人はただ『いい写真を送ってくれ』というだけで、制作物のコンセプトの説明やどういう写真が必要か、報酬のこともまったく説明がなかった。しかも返信したら返ってこなかった。

いっぽう女の子はメディアの説明やどういう記事を書いてほしいかが明確だった。報酬もない、とはっきり書いていた。最近は学生でも相手のことを考えて対応してくれる人はたくさんいる。反面、相手を思う気持ちが欠けているのか、失礼な大人も多い。小さな依頼一つでも、相手のことを考えた心配りがなかったら信用をなくしていく。自分も気をつけよう」という内容のツイートでした。

私はいつも、こんな書き方では失礼ではないか、こんな対応だと社会人から見たら変ではないかと不安だったのですけれど、ちゃんと思いをもって活動を続けていれば、こうやって認めてくれる大人はいるのだとすごく自信になりました。

情報発信の「場」づくりに必要なこと

浅野

今日のテーマである、若い女性が活躍するためのフィールドをつくるためには、やはり若者を認めてくれる大人の存在が不可欠だと思います。でも、それだけではまだ足りないのです。地方にはまだ情報発信をする場が足りません。

「地方は情報発信が下手だ」と、よく言われます。でも『ふたりごと文庫』に書いてくれている大学生や高校生の記事を一度読んでみてください。情報発信の上手な若者は地方にもたくさんいます。ただ環境がないだけなのです。

そのためにも、まずは地方で頑張る若者が、一人の大人として認められることが必要です。みなさんのほんのひと言、何気ない対応がそんな若者の自信につながるかもしれません。そして、そんな頑張る若者の頑張る場、チャレンジする場、そして情報発信をする場をつくることが必要だと思うのです。

私のまわりには両親や学校の先生はもちろん、それ以外にも応援してくれる、大人として認めてくれ成長を支えてくれる大人がたくさんいます。それがすごく私にとってありがたいことだと、本当にこの1年くらい思うようになりました。だからこそ、こんどは私がもっと下の世代の若い子たちを支えていきたいと思います。みなさんもぜひ、そんな若者がいたら自信を与えてあげてください。そしてよかったら、こんな場があるよ、と「二人ごと文庫」を宣伝してくれると嬉しいです。

鯖江の漆器工場、ものづくりの現場から

嶋田

こんにちは、嶋田と申します。私はいま、福井県鯖江市河和田町という町の漆琳堂(しつりんどう)という会社で、漆塗り、漆器製造の仕事をしています。

この会社は、創業が寛政5年(1793年)、224年つづいた老舗で、私の上司である内田徹専務はその8代目。代々漆塗りを継承しています。
鯖江というのはメガネのフレームで有名ですが、歴史的には越前漆器、漆器のほうが古く、1500年ほど前にさかのぼります。福井県は日本海側にある県なのですけれども、河和田町は山寄りにあり、昔から漆器産業が盛んだった町なので、いまでも漆器をつくる会社が40、50軒残っている地域です。

輪島塗、江戸漆器、木曽塗器など、漆器の産地は全国にいろいろあります。鯖江で塗られている越前漆器の特徴はというと、ホテル、レストランなどで扱われている業務に使われる業務用の漆器です。業務用漆器には、自然塗料の本漆を塗るものと、樹脂を使ったウレタン塗装というのがあるのですが、漆琳堂は代々、本漆で塗る会社です。だから一個一個刷毛を使って手で塗っています。

漆器の制作は、完全な分業制です。
まず、お椀の木地を挽く人、それを鉋(かんな)とろくろでお椀のかたちに整形する木地師。木地にいきなり漆を塗ってしまうと木目に漆が吸われ、きれいな塗膜ができないので、木目を埋める下地作業をする下地師がいます。そして、漆を上からかけて塗膜をつくる塗師(ぬし)。さらに金の絵、鈴の絵などを描く蒔絵師(まきえし)さん。最終工程は呂色師(ろいろし)さんが仕上げます。

漆の表面仕上げで、顔が映るくらいピカピカになっているものがありますが、あれは呂色師さんが手のひらと油と鹿の角を粉にしたもので、ガーッと摩擦を与えることで光らせているんです。

こうした分業制によりひとつの漆器ができていきます。
そして私たちは塗師として、刷毛で漆を延ばして器に塗っていく仕事をしています。

東京から京都、そして鯖江へ

嶋田

私は移住者で、もともとは東京都練馬区出身です。
私は小さいころからものづくりがとても好きで、人と話すより、黙々と手を動かしていることのほうが好きな子どもでした。水道橋にある工芸高校に進学し、そこでは鋳造とか鍛金、鋳金、シルバーアクセサリーなどをつくる金属工芸を学びました。

3年間、学生生活を楽しんで、好きにアクセサリーをつくってとにかく楽しい日常だったのですが、でも、これを仕事にすることを考えたとき、ちょっと違うかも、と思ってしまった。金工に代わる「何か」が私には必要だったのです。

校外学習で国立新美術館を訪れたとき、そこで「日展」をやっていました。そこで初めて漆の作品を見ました。ある作品に感銘を受けたというよりは、その仕上がりのかっこよさに「これは何なのだ?」と衝撃を受けた。原材料名を見たら「漆」と書いてある。私の家は漆器を使うような家ではなかったので、そもそも漆器に触れたことがなかったんです。

これはどうやってつくられたんだろう、とにかく漆を知りたいという、ただそれだけの理由で京都にある伝統工芸大学校に進み、漆を2年間学びました。
そこでやったのは基礎の基礎、漆とはどういうものなのかというところの理解と道具づくり。実際には2年間でお椀を2個くらいしかつくることはできませんでした。

卒業して就職を考えたとき、技術もまだあまり身についていないし、漆器業界自体に人を雇えるような会社が少なかったこともあり、求人広告を見てもあまり魅力的に思える会社が見つかりませんでした。

結局、やりたいことが見つからないまま一度東京に帰りました。そして、自分を模索する日々を二年間ほどもうけ、東京のセレクトショップや生活雑貨のお店をいろいろ見て回りました。そのときにいま私が働いている漆琳堂の商品をセレクトショップで見かけ、「あ、こういう漆器をつくりたい」と直感的に思ったのです。

その器は、よくある黒や朱色の漆器ではなく、多彩な色を使った自由なものでした。 もともと漆器が好きというよりも、漆という塗料自体に魅力を感じていた私は、卒業制作も淡いピンク、淡いブルーの色物で作品をつくっていました。

漆ってこんなに色を使えるのに、みんなどうして色を使わないのだろうと思っていたくらいでしたので、じっさいそれを商品にして売っているものをショップで見たときに、「これだ!」と感じたわけです。そして、会社にいきなり電話をしました。

とにかく会いましょうという話になり、専務が品川に出張に来られたときにお会いし、いろいろお話を聞いてもらい、「とりあえず来てみたら」という話になって、会社に入れてもらうことができました。それから、2年。快い返事をもらって本当によかったと思っています。

漆のブランドを育てる

嶋田

そしていまは毎日、漆を塗る日々を過ごし、日常的に漆器を製造しています。その先の展開についてお話しましょう。
こちらは「aisomo cosomo(あいそもこそも)」というブランドの椀です。6色のカラーバリエーションの漆器なのですけれども、2010年に立ち上げたブランドで若い世代に気軽に漆器を使ってもらいたいという発想からつくりました。

漆というのは顔料を入れて色をつくるため、絵の具のように無限の色をつくることができます。色のむらが残りやすいので敬遠されがちなのですが、うちはうまく塗る技術をもっているので、それを駆使して色物を展開しています。

カラーバリエーションがあるおかげで、結婚祝いなど記念品としての需要も伸び、NHKの『イッピン』という番組で放送していただくなど、みなさんの目に触れる機会が増えてきました。

そして、私も入社する前は東京で二年間アクセサリーなどをつくっていたので、その知識を踏まえ、さらに漆器をもっと身近に感じてもらえることはないかを考えました。私以外にも若い女性がふたりおりまして、若い人たちの意見と専務の世代の意見を交えながら2017年の2月、「kacera(カケラ)」という新しいアクセサリーブランドを立ち上げました。

aisomo cosomoのお椀や湯飲みなどに傷や「ふし(埃)」などがついてしまって販売できないものを割って整えてみたところ、意外に可愛いものになったので、このカケラをアクセサリーとして打ち出すことになったのです。
最近はこのカケラをパーツに使って、アクセサリーづくりのワークショップも開催しています。

このワークショップにはいくつもの利点がありました。まず、漆を食器として使うのではなくて、身体に身につけてもらえるということ。ふだんは拭き漆のワークショップもしているのですけれど、漆はどうしてもかぶれてしまうという心配があるので、お椀を直に塗るという大胆なワークショップができなかったり、ちょっと気を使ったりすることが多いのです。しかしこの場合は、乾いた状態の漆を使っていますので、かぶれる心配もありません。漆をもっと身近に感じてもらえるようなアクションができるので、どこの地域でもイベントができるテンプレートをつくれたと思っています。

メディアの情報発信という意味では、私たちもインスタグラムとフェイスブックを活用しています。日常の使用例や掲載した雑誌など、逐一アップして周知を図り、展示会のお知らせや、来客したかたの記録、そういうものも毎日更新しています。

これからは、せっかく地元に直営店があるので、現地を訪れたくなるような企画を考え、鯖江に足を運んでもらえるような流れをつくりたいと思います。こちらから出かけていってお話しするということも大事ですが、やはり工場に来ていただいて話したほうが一気に理解できると思うのです。そういう機会を自分たちでどうやってつくり、一般のお客さまにお伝えできるかということを日々考えています。

お二人の“ふたりごと”

嶋田

浅野さんのお話、すごく前向きで、私も見習いたいなと思いながら聞いていました。地方に行ったときにどういう意識、どういう目線で、何を思いながら現地に降り立っているのでしょうか。

浅野

最初は何も考えなかったというか、全身で、ただただ感性で感じていたのですけれど、しだいにもっと情報発信をしようという思いに切り替わっていきました。いいなと思っても、写真を撮っておかないと後で伝えられなかったり……。みんなに伝えるにはどうすべきかを強く意識するようになったと思います。
私からも質問を。職人さんというと「師匠と弟子」みたいなイメージがあります。一般企業の上司部下みたいな関係とはやはり違うのでしょうか。

嶋田

漆琳堂の八代目は越前漆器の最年少の伝統工芸師なのですけれど、漆琳堂では私は本当にただの会社員なので、おそらくみなさんが上司に対するときと同じ感覚で接しています。専務より朝早く来て掃除して、正座して待っているということは一切ないです。むしろ私のほうが遅く来て、「おはようございまーす」という感じで始まる、ほんとうにふつうの会社です。もっとも、塗りの作業の補佐などのときには、かなり気配りが必要ですから、そういう部分はちょっと弟子っぽいかもしれません。

浅野

技術的な面というのは、専務から教わったりするのですか。

嶋田

もちろんします。私が京都の学校を出たときは、知識はあっても何もできない状態でしたから、技術的な面では一から教えてもらうようなものでした。

浅野

すごく気になったのが、東京で漆琳堂さんの商品を見てすぐに連絡したとおっしゃっていたのですけれど、先方から求人などは出ていたんでしょうか。

嶋田

求人はまったくありませんでした。本当に迷惑だったと思うのですけれど、私が勝手に気分が高まって電話したというだけで、一方的な気持ちにていねいに、柔軟に対応してくださった漆琳堂がほんとうにすごいという話なのです。

浅野

嶋田さんの行動力もすごいと思います。

嶋田

私は京都の学校を出てから2年間、ずっと悶々とした日々を送っていました。だからいまさらやりたくないような仕事につくよりは、やりたいと本気で思ったところに一回ぶつかってみようと思って。だから電話するときに迷いとかはほとんどありませんでしたね。

浅野

最後に、私はこれから、いろいろな地域活性化に携わる社会人のインタビューをしていこうかなと思っています。その点からも質問させていただきたいのですけれど、過去に取材を受けてこんなことを言われて困った、こんなことをされて困ったという経験があったら教えていただければ嬉しいです。

嶋田

何回か取材はあるのですけれど、みなさんよい方ばかりで、そのようなことを思ったことはないですね。

浅野

私が困った人第1号にならないように気をつけようと思います。

おふたり

今日はありがとうございました。

講 師

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浅野 有希

『ふたりごと文庫』編集長

大学3年生。2017年4月にオンラインメディア『ふたりごと文庫』の編集長に就任。現在は全国の地域おこし協力隊や大学生などに寄稿を依頼し、日本の埋もれている魅力を全国に発信している。

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嶋田 希望

塗師

1992年東京都練馬区生まれ。京都伝統工芸大学にて漆芸を学ぶ。卒業後、福井県鯖江市へ移住。創業1793年漆塗りを代々継承してきた「漆琳堂」へ入社、現在2年目。塗師として修業中。