西武西武渋谷店

2018年4月25日(水) Think College Vol.56

畑を日常に。
〜”楽ちんオーガニック”で、普段の暮らしをもっと楽しく〜

講師:西村千恵(FARM CANNING 代表)

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世の中の課題に取り組む人のお話を聴いて、一緒に考える講座シリーズ「Think College」。
今回のテーマは「オーガニックな農園体験」です。
みなさん自然は足りていますか、リアルに足りていますか。
神奈川県の葉山を舞台に、自然の力だけで育つ農作物。
その収穫を農作業の体験ごと閉じ込めた瓶詰めづくりのスクールがあります。
畑を通して見えてくる、私たちの暮らしと世界の食の問題。
本当の意味で美味しい野菜を食べながら、一緒に考えてみませんか。

葉山で農園をやるということ

西村

FARM CANNINGは、私たちのプロジェクトの総称です。神奈川県の葉山にある無農薬・無化学肥料の農園で、おもに一年間のスクールをやっています。15組から20組の人が集まって、みんなでひとつの畑をつくりながら、その農園でとれたものを瓶詰めして持って帰る。ちょっと畑を身近に感じることのできる、そんな要素を日常に取りいれてもらうために、2016年から始めた事業です。

「FARM CANNING」というのは造語です。CANNINGは、空気を抜いて常温保存で長期に保存できるよう缶詰・瓶詰めするという意味。でも単なる保存食づくりではなく、畑でみんなで作業をした経験や記憶、そのときの思いを瓶詰めにして持って帰ってもらい、ご飯を食べるときに、舌の上でまたその記憶が甦ってくるようにしたい。FARM(農園)の体験を詰め込んだ瓶という意味で名づけました。

メインのスクール事業は、畑仕事と瓶詰めを学ぶ一年間のコースで、日曜のクラスは小さいお子さん連れやご家族での参加が多いのですけれど、土日にお休みできない商売の方とか、平日のほうが自由に使える時間があるという人たち向けに平日のクラスもつくりました。クラスごとに個性的で面白い人たちが集まっています。同時に、廃棄野菜を使った瓶詰めの製造販売やケータリング事業もやっています。

畑と聞くと、キャベツならあたり一面キャベツというイメージだったりしませんか。でも、葉山の農園は本当に山のなかで「こんなところがあったんだ」と地元の人もビックリするような場所にあります。

広さは5ヘクタール、東京ドーム以上の大きさがあるのですが、もともとは人がバブルのころに開発した土地で、いろいろな使い方をしてひどく荒らしてしまった山でした。

バブルが弾けた後、神奈川県の所有になり、4年前に里山に戻そうというプロジェクトが始まりました。その一環として、農薬や化学肥料をつかわず、生態系を壊さないような農園をつくるという事業がスタートしました。

逗子・葉山は別荘地としても開発されてきた土地でもあります。それがいままたスローライフを求める人たちに見直され、都内からの移住も増えています。そんな人たちがこの活動を支えています。

FARM CANNINGに割り当てられた区画を20組くらいで使うことになり、何を植えるかというところからFARM CANNINGスクールのプロジェクトはスタートしました。

最初は、みんな初心者ですから、トウモロコシを植えたいとか、スイカも育てたいとか、楽しい夢が広がるのですが、じつは、無農薬の畑仕事にはかなりの覚悟がいります。スイカなんてすぐに虫がたくさんついて真っ黒になってしまいます。難しい作物の代表なんですね。
トウモロコシはたくさん植えないとまず実がなりません。実ができてもイモムシみたいなのがつくし、カラスが食べにくるし、ちょうど熟れてきたなというころにはカスカスになっています。

一方、すぐ近くには昔からの農家さんがあります。三浦半島は三浦ダイコンやキャベツで有名なエリアですが、戦後に農業が発展したため農薬や化学肥料をたくさん使う農家さんも多い。大きく育てて高く売ろうという経済発展の時代を経て、子や孫まで代々そのやり方を継承してしまっています。そういうところでは、美味しそうなトウモロコシがたわわになっていても、近くに行くと「農薬散布済」「危険」などと書いてある。その風景は、ちょっとショッキングです。

意識の奥を変えたドイツ留学

西村

わたしがなぜ農業にかかわりはじめたか。
もともと農業や食に関わる接点はありませんでした。生まれも育ちも世田谷、親も東京出身で転勤もなくほかの街に出たこともありません。東京が大好きだったし、遊びも大好きだったし、働いているときも夜中にタクシーで帰るということが続いても、充実していたし、なんの不足感もなかったのですね。

とはいえ、中高時代は、園芸が必修科目になっているちょっと変わった女子高に通っていました。女子中高生たちがイモやダイコンを掘って、泥だらけになって「めんどくせー」とかいいながら、それを抱えて新宿の塾に通う、そんな風景が日常だったのです。

国際色も豊かな学校で、留学をする先輩・後輩がたくさんいました。私の従姉妹もそうでしたし、私も「絶対海外へ行く」と決めていて高校2年生のときに留学しました。
行先はドイツです。まわりはアメリカやオーストラリアなど英語圏へ行く人が多かったのですけれど、英語ができる人はたくさんいるし、人とは違うことをしようと思っていたので、なるべく英語圏ではないところへと希望を出し、結果ドイツになりました。

そして、東京のど真ん中でしか育っていなかった私が、ど田舎の、豚の匂いがするような村に飛ばされたのでした。そこで高校2年生から3年生にかけての一年間ホームステイをして、現地の高校に通いました。

その家のお母さんはシングルマザーで、私より年上の息子さんと2人で小さなアパートに住んでいました。その彼女がまたベジタリアンで、元ヒッピーで、エコハウスにいて、すごく厳格にゴミの分別をするような、がちがちのエコライフを地でいっている人だったのです。

人としてはとても優しい人で、経済的にはけっして豊かではないのに、自分の部屋を私に譲り、自分は1年間リビングにマットを置いて寝て、「でも大丈夫よ。あなたを受け入れるわ」という、そういう懐の深い人でした。最初は目が点になったのですが、そういう人に出会えることはめったにないかな、と思って一年間を過ごしました。

ドイツならソーセージだろうと思って行ったのに、ソーセージもハムもありません。その家で見るもの聞くものみな初めてで、しばらくは理解できませんでした。まずオーガニックが何なのかもよくわからないし、ベジタリアンがなぜそういう主義なのか予備知識もなければ聞いてもわからない。

鶏肉ひとつとっても「ブロイラーはケージのなかで育てられた鳥でしょう。そんなものは食べものじゃないわ」なんて言われるのです。「はあー、また何か難しいことを言ってる……」と思いながら過ごした一年間だったのですが、それが知らず知らずのうちに自分のアイデンティティーの中に深く深く入っていった経験だったのでした。

そのあと大学に入り、卒業するのですが、私は就活をいっさいしませんでした。せっかくの人生だから自由にいろいろなことをやりたい、という思いがあったのと、自分自身サラリーマンにはあまり向いていないとわかっていたからです。大学生のあいだに旅にいったりしているうちに、オーガニックカフェをいっしょにやらないかというお声掛けをいただきました。そして、恵比寿にある小さい小さいカフェを一から立ち上げることになりました。

ずぶの素人だったので、一からの勉強だったのですけれど、そのときに、オーガニックが当たり前だったドイツの一年間がよみがえってきました。当時は、やっと日本で「オーガニック」や「無農薬」が、あまり土臭くない、ちょっとお洒落なかたちで広がりはじめた時代でした。

結婚、子ども、そして方向転換

西村

いま思えば楽しい体験でしたが、そのときは農家さんとのやりとりはもちろん、農業の現場や外食産業の裏側ものぞかせてもらって、もう二度と飲食店などやるかと思ったぐらい大変でした。

オーガニックと聞くと、食べるものと思うかもしれません。でも、私たちが来ているコットンにもオーガニックとそうでないものがあります。山のようなコットンを収穫しても、Tシャツ1枚にしかならない。それが格安で売られている世の中では、やはり見えないところで誰かが苦しんでいます。小さい子どもたちが人権もなく働かされていることなどを知ってしまうと、やはりそっちの分野も放っておけなくなって、フェアトレードの製品をイギリスから輸入販売したりするようになりました。
そうやって、ずっとエシカル畑にいたのですけれど、とにかくやることが多くて、日々カフェのオーナーと二人三脚でがむしゃらに働いていたのです。

でも、結婚して子どもができて、二人目を妊娠したときに私は転機を迎えました。一人目が男の子で、二人目も男の子だとわかってしまったとき、都内のマンションで下の人に気を使いながら育てるのは難しいだろうなと思いました。しかも私自身が毎日のように夜中に帰ってきて、土日はイベントをやって、綱渡りのように暮らしている。「何かを変えなければ……」と感じ始めたのです。
そしてあるとき、これからは子どもたちと一緒にいる時間を優先させよう、と決心しました。

オーナーとも話をし、環境も見直そうと思い、広い海と山のある葉山を選んで引っ越すことにしました。本当はずーっとのんびりすごそうなんて思っていたのですけれど、そこで無農薬栽培のこの農園と出会うことになります。

青山ファーマーズマーケットってご存じですか、自然に根ざした食を考え、活動しているコミュニティです。その運営をしている仲間が、葉山だったらここへ行きなよ、と教えてくれたのがその農園でした。こんなところもあるんだ、と思って試しに行ってみたら、もう毎日通ってしまって。そしたら農園の方達が「働き手がないんだよ。働いてくれよ」と言うので、私も「野菜をくれるならいいよ」みたいなノリで、まだうしろに歩けない子をおんぶして出荷の手伝いを始めたのでした。その農園のうつろいを見て、運営を見ていく一年間に、農園側の信頼関係もかたちづくられました。

ちょうどそのころに、持続可能な農業こそ、地球環境にも人にもいい暮らしであるというパーマカルチャーの考え方に出会います。そうか、私は自分が農業をやりたいわけではなくて、こういう暮らしが好きなんだな、と気がついたのです。
自然に即したリズムで、「早く早く」ではなく、自分のペースで、お日さまのあるときにその下で働き、美しく咲く花を愛で、美味しいものを食べ……人生の豊かさってそういうことじゃないかと気づいたのは葉山に行ってからのことでした。

「もったいない」を瓶詰めに

西村

そういう転機を経て、瓶詰めをつくるようになったわけです。
畑でお手伝いをしていると、たくさん収穫物があります。さっきも言いましたが、ちょっと虫食いがあるとか、囓られてしまったとか、葉っぱは駄目だけれど下は食べられるとか、そんなものだらけです。定年した後ぐらいのおじさんたちがですよ、汗水垂らして、種を蒔いて、水をまいて、芽が出てきて、葉っぱをとって……と3か月間くらいかけてようやく収穫できるというときに、天候や虫の理由でひどい時には3分の1くらいを出荷できず土に戻したり、ヤギのエサにしたりしているのです。「えー、なんのためのこの3か月間だったの? もったいないなあ」と思いました。とはいえ、今はずいぶん処分する野菜は無くなりましたが。

とりあえず私が引き取って加工しますと言って、瓶詰めづくりを始めます。すでにスクール事業を準備している時期だったので、まあアイコンになる瓶詰めを版売できたらいいなというところからはじまって、おかずのもとになるものを開発しました。ジャムとピクルスはどこでも売っていますし、美味しいものはたくさん出ているので、それ以外で、この世にない瓶詰めをつくろうと思いました。
たとえばよくいうパスタソースみたいなものも、ご飯と交ぜればパエリアになるとか、お肉と交ぜればハンバーグになるとか、そういう使い道があるものを考えました。

いま一単位100瓶を2名から3名くらいの体制でつくっています。もちろん、美味しいことも大事ですが、さらにオリジナリティがあるとか、ちょっと見た目が可愛くてジャケ買いしたくなるようなものづくりを心がけています。

もちろん、ただ単にレトルトのオーガニックを売りたいからやっているわけではありません。廃棄されてしまう野菜のことを知ってもらって、そういうものがもっともっと流通に乗れば、私たちもオーガニックのものを安く食べられるんです。

廃棄野菜やB級品野菜のことを、私たちは「もったいない野菜」と呼んでいます。
よくいわれるように、日本は相当なフードロス大国です。たとえばお弁当の残り、魚の頭など、本当はまだまだ食べられるのにというものまですべてをカウントすると、日本のフードロスの量というのは、日本の米の全生産量に匹敵するのです。すごくないですか。つくって捨てているのですよ。結果、海外から輸入をして農家さんはお金が儲からないからやめていってしまう。そんなサイクルになっています。しかし、それが捨てられなければ、海外から輸入する必要もなくなるし、オーガニックもそんなに高価にならず、みんなハッピーなはずなのです。

衛生面の問題もあるのですが、ただ太りすぎただけ、小さすぎるだけで売れないニンジンだとか、ピッピッと毛が生えているのも駄目だとか、又割れしていたり、ひびが入ったりしている野菜は、B級、C級にランク分けされてしまいます。

食べるほうにとっては見た目や形だけの問題でも、農家さんにとってそれは、作物を上手に作れなかったということ。だから見せたがらないのです。だから、農家さんにいきなり「B級品をください」といっても「そんなものないよ」とまず断られます。けれども、信頼関係ができてくると「じゃあちょっと持っていく?」という話になっていくのです。

世界で広がっているオーガニックな展開

西村

私は、スローフードという世界的に食を守ろうという運動のメンバーとしても動いています。逗子の仲間たちであるオーガニックの野菜の大手流通業者から1週間で廃棄される野菜を送ってもらい、賛同する地域の飲食店や子ども食堂などで使うという「もったいない野菜基金」を立ち上げました。

たとえばお正月が終わったあとなら、ピカピカな金時ニンジンといった正月野菜が届くわけです。ニーズがなくなれば安くなる。ヤツガシラなんて、シーズンには一個2000円ちかくするものが、通常は大きすぎるというだけで売れない。意味がわからないですよね。

サイズが規格外れだと、給食や外食産業でもスライサーに入らない、ミンチにする機械に入らないと敬遠されます。キュウリとかも今ぶつぶつしたも気持ち悪いという声があったから、それをなくす品種改良がされてツルツルなのです。とても不自然なのだけれど、私たちはそれを見て育っていますから違和感も持ちません。

たまたまた鎌倉の小学校の管理栄養士さんが、そういう野菜を給食に使ってみたいといってくださって、給食に使ったり、お子さんの授業をしたりする活動を始めています。

無農薬も無化学肥料も自然栽培も、健康のためだけではないのです。 土というのは、本当に私たちが生きていくうえでなくてはならないもの。東京にいると、なかなかそういうことは感じられないのですけれど、生きていくうえでは土壌がすべてです。その土壌を守るために、農業がほんとうに重要な役割を果たしています。

先ほど紹介した三浦のお薬をいっぱいまいてしまっているところでは、ある農家さんが「うちのお爺ちゃんからもらった畑はもうシャブ中なんだ」という言い方をしています。はじめに肥料をまかないと、作物がみのらないほどスカスカな土地になっている。だからまた違うところへいって、どんどん開拓していくしかない。だけどそれはコストがかかる、お金がかかる。けっきょく自分の実入りが少なくなってくる。俺はこんなことをしていていいのだろうか、と言うのです。

そろそろ戦後のやり方をストップさせないといけません。いま80歳90歳の方だったら原発の問題と同じで、それほど身体に影響が表れてくることはないかもしれません。でも、とくに女性は、食べもののことが生殖機能に直結してくるのですね。ですから、これからほんとうに深刻な問題になってくると思っています。

私はFARM CANNINGという会社を小さいながらも立ち上げ、こういった活動をしています。世界にもいろいろなかたちで、食を通して社会をよくしようとしている人たちがいます。
その筆頭として挙げたいのが「エディブル・スクールヤード」(食べられる校庭づくり)です。すべての小学校、中学校に菜園をつくって食育をしようという活動で、「シェ・パニーズ」という、アメリカ初のオーガニックレストラン(1971年開店)の経営者アリス・ウォーターズが1995年にスタートさせた取り組みです。20年以上の活動を経て、64か国5510校がネットワークに参加、校庭の一部を菜園にして、みんなで野菜をつくって囲んで食べるといった活動をしています。

日本には残念ながらまだ1校しかないのですけれど、滋賀県が本気を出しまして、県内のすべての学校にこのエディブル・スクールヤードを参考にしたエディブル・エデュケーションに取り組む、そして滋賀産の米とお茶をすべて有機に切り替える、という方針を出しています。ここから、どんどん変わってくるのかなと期待をしています。

ほんとうは薬などなくても、作物は時期になれば「食べていいよ」と美味しいものをみのらせてくれます。誰もがそのオーガニックにアクセスできるはずなのに、いまはそれができていない。しかも、それをやろうとしている人たち、持続可能な農業をやっている人たちほど大変な思いをして、守られることもなく辛い目に遭っています。
私は、そこで自分にチャレンジできることはないかなと思いながら、このFARM CANNINGをつづけてるのです。

講 師

chie-nishimura
西村 千恵

FARM CANNING 代表

二児の母。東京生まれ、葉山在住。Love& Peaceな世の中を願う食いしん坊。
高校時代のドイツ留学にて、ど田舎のエコハウスに住むベジタリアン・元ヒッピーのシングルマザーだったホストファミリーの生き方に多大な影響を受ける。オーガニック、フェアトレードなどのエシカルな分野に従事。また女性の身体の健康に関する仕事にも携わる。
葉山に越してから、自然の恵みをダイレクトに感じる暮らしに魅了され続け、FARM CANNINGを設立。「畑を日常に」をコンセプトに、畑作りから収穫物の瓶詰めまでの年間クラス、ファームキャニングスクールを主宰。またB級品の対象になる野菜を使い”オーガニックレトルト”な瓶詰めをオリジナル商品として手作りで販売開始。 生産者向けの6次産業支援や加工品の講座、フードロスをテーマにしたイベントなども開催。
「食とは愛である」を信念に、日々台所に向かう。